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社長&顧問ブログ

2020.10.23

麻布十番へ

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

著名ジャーナリストとの面談 そしてその後 彼の側近でもあり

やはり著名なジャーナリストとの会食までの話でした。

最初は 緊張しながらの食事でしたが

彼が 早いペースでお酒を飲み干すので それに合わせて

負けずにこちらも飲み干しながら 今後の展開について

話を進めて行ったのです。

 

ある程度の話は進み お酒も進んで やがてお開きの時間となり

彼をタクシーに乗り込ませて見送りをしたのですが

 

その後が

大変でした

 

それまでは気が張っていたせいか なんともなかったのですが

一気に酔いが回り始め 目の前がくらくらしてしまったのです

 

もともとお酒は好きではなく 無ければ何年でも欲しいとは思わない体質なのですが

飲めと言われると 相手に負けない勢いで飲めるのでした。

 

それで 私も タクシーを拾い ホテルへと戻るのですが

朝まで気分が悪くて殆どトイレで倒れ込んでいる状態でした。

 

しかし 目覚めて 昨夜の事を思い出すと 一気に酔いも覚めて

次の準備に移らなければなりませんでした。

 

次回の面談が 翌週 彼の事務所でという事でしたので

忘れないうちに 内容を整理して 次回訪問に備えたのです

 

さあ ここからが 今年の初めに書いていたブログの続きとなるのですが

それが 何の話だったかと言いますと

 

麻布十番に行くと言う話でしたね、確か2月からの話の続きが やっとここで繋がって来るのです

 

そこで 今一度おさらいで

今回の場所 麻布十番ですが

 

何故 地名に十番とついているのか不思議に思いました

 

普通であれば 麻布何丁目とかでも良いのでしょうが

 

麻布十番までが固有名詞で 麻布十番一丁目 とかに住所表記されていくので

 

よく見ると違和感がある地名ですよね

 

 

 

各地に なんでこの地名が付いたののだろうと思うことは多々ありますね

 

それで 調べてみますと

 

「麻布」と「十番」にはそれぞれ別の由来があるそうです。

 

「麻布」はその昔、この一帯で麻を多く植えて布を織っていたことに由来し、

 

麻がよく育つ土地という意味で「麻生」になり、これが転じて「麻布」となった。

 

という説が有力のようです。

また

 

「十番」の地名の由来は

 

は1698年(元禄11年)、五代将軍徳川綱吉の白金御殿を建築する際、

 

土運びをする人足(労働者)が一番から十番のグループに編成され、

 

この地域の人々が十番目に当たっていたことに由来するそうです。

 

このため、麻布一番~九番は存在しないのです。

 

十番の称は町名から一度消えるのですが、通称としては広く使われ、

 

1962年(昭和37年)の地番整理の際に復活したそうです。

 

町の名前も色々由来があるので

 

それらを調べながら 街を散歩するのも楽しみの一つになるのではと

 

思います。

 

この麻布十番に 何故行くことになるかからが続きでしたが

 

今回の話のジャーナリストのオフィスがそこにあったからなのです

やっと 八か月も前の話に繋がりましたね

 

そして その オフィスでの話が その後のビジネスの大きな

転換となって行くのです

 

そこでの 話とは??

 

明日に続く、、。

 

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