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社長&顧問ブログ

2019.10.17

常識やぶりの薩摩藩

高光産業株式会社 妹尾八郎です。

 

昨日からの続きですね

 

昨日までの話は 明治大学で講義を行うようになったこと

 

それは ITがらみの話であった。

 

しかし オールドビジネスの私がITと出会うきっかけは

情報村八分になりたくなかったからが動機であった事などを書きました。

 

私は完全文科系の頭で 機械音痴もいいところなんです。

 

パソコンの前のワープロなんてもってのほかで見るのも嫌でした

 

それが 会議でのメールでしか 情報発信しませんと言う一言だったのです。

もうこれでは逃げられない 

逃げられなくても逃げきるのか??

それが 無駄であることは時代が証明しています

 

長い幕府の統治から明治維新で文明開化がおこり

それまでの 文化からまったく変わってしまったことはご承知の通りです

 

しかし 明治維新を認めたくない人々は 髷を結ったままでしたし 着物で通そうと

する方も多数いました。

 

電報が出てきても 飛脚の方が早いと思い

電報対飛脚のスピード競争があったくらいです

 

どんなに頑張っても電報が勝ちますよね

 

どんなに 古き時代を忍んでも 新しい時代の波は一気に押し寄せるのです

そこで 文化もビジネスも変わるのです

 

石炭から石油に代わった時もそうでしたね

 

であれば 時代の波から逃げるのではなく 時代の波に向かって突っ込んでいこうと

その時決心したのでした。

 

逃げるにしても 背中を見せて逃げるのではなく 時代の波と言う敵に向かって

逃げて行ったのです。言い方変えれば突っ込んいったのです。

 

話は又 飛んでしまいますが

敵に向かって逃げた戦が昔あったのです。

 

それは 遠く戦国時代の話です。

 

関ヶ原の戦いがありましたね

 

西軍と東軍の戦いです

 

ここでは その戦いの詳細は述べませんが、

一番人気の武将は大谷吉継ですかね

 

それも どうでも良くて

最終的には東軍の勝利に終わりますね、 

圧倒的勝利に終わったって 数万の東軍を前にして 残ったのが

西軍の薩摩藩でした。

数万の東軍に わずか1500人ほどの 薩摩軍。

あっという間に 全滅の運命ですね。

 

しかし ここで 全滅していたら 明治維新は無かったかもしれません。

では 薩摩軍は どうやって戦い生き延びたのか?

 

世界があっと驚く常識を破った戦い

 

それは??

 

明日に続く。

 

 

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