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社長&顧問ブログ

2021.7.28

76年前の今日の出来事

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 博多での散歩の途中で 博多の大仏を見つけたことから

何故博多に大仏があるのか? を調べた話から

そこには 常識では考えられない出来事があったと言う話でした。

そこから

常識では考えられないことのたとえ話を

「コロンブスの卵」 と言うのですが、 そのコロンブスは 何故その言葉を発したのか?

そこには 知ってしまえば当たり前の事があるのです

で その話の続きとなる所でしたが

 

今日は 又話が逸れて 76年前の7月28日は 日本人が非常識な出来事を知った日なのです。

 

76年前のこの日何があったのか?

 

この二日前の 7月26日は ポツダム宣言が発せられた日だったのです

時差があるからでしょうが 日本でこの宣言を政府 軍部が知るのは 日本時間

7月27日の朝だったのです。

 

ポツダム宣言の内容は 後ほど詳しく書かせて頂きますが

 

先ず この宣言を軍部や政府がどのように捉えたのか? からになります。

 

昭和16年の開戦以来 戦局は日本にとりましては絶望的なものとなっていました。

徹底抗戦を行うのか 降伏するのか?日本の運命を決めなければならない日が近づいて

居た事は皆感じていたのです。

まさに その時 突然海外からの電波網を通じて ポツダム宣言が突き付けられた事を

知ったのです。

 

先ず軍部は この宣言に ソ連のスターリンの名前が入っているか否かを気にしました。

それは 何故かと言うと この時は 日本はソ連と 日ソ不可侵条約を交わしていたからです。

 

もし ここで ソ連の名前が入っていれば これは条約違反となるからで

とにかく ソ連の名前が入っていない事で少し安堵したようです。

 

一方 外務省はこの一報を受けて 終戦への主役になるのは 自分達

外務省であると考えていたのです。

 

軍部はあくまで本土決戦を唱えていましたから どのように終戦に持ち込むかを

彼らは考えていたのでした。

 

そして 外務省も 軍部と同じように ソ連の動きを注視していました。

 

それは ポツダムで 日本の問題について相談を受けていたことは知っていたのですが

ソ連はこのまま 中立を守るか? を考えていたのです。

 

和平の仲介役としてソ連と交渉できないだろうかと考えて ここの様子は見るべきだと

その時は判断したのでした。

 

そして 7月27日午前11時に 東郷外相は 天皇陛下に報告の為に参内して

ポツダム宣言の翻訳を提出し

ここには 天皇の地位については不明瞭であること と無条件降伏と言う言葉が

軍部に対してのみ用いられいることを 説明したのです。

 

これを聞いた 天皇陛下は

「これで 戦争をやめる見通しがついたという事で 受諾しなけれな 戦争継続という事になり 国民を苦しめてしまう事になる」 との 意見を外相に述べたのでした。

この意思を受けて午後から

定例の 最高戦争指導会議が行われたのでした。

この会議の席上で ポツダム宣言は 一つの宣言であるだけの事だと扱い

政府としては 静観するという事を決めたのでした。

ここでの会議では この宣言を 最後通牒とみなした人が誰一人いなかったために

まだ状況が変わる可能性があるとして静観を決め込んだのです。

 

これを受けて

翌28日  すなわち76年前の本日

政府は 内閣情報局を通じて ポツダム宣言が出されたことを 国民に

発表したのでした。

 

しかし 国民の戦意を低下させないような内容での発表をメディアに伝えたために

当時の各新聞社は 低下させないどころか 戦意高揚を図る強気の文字をつかい

読売新聞は 「笑止、対日降伏条件」 も見出しをつけ

朝日新聞は 「政府は黙殺」 との見出しを掲げたのでした。

 

この事が 対外放送網を通じて世界に放送されてしまったのです。

 

そして この事が後に 大変な事を引き起こしてしまうのでした

 

それは、、、

 

 

明日へ続く、、。

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