EXECUTIVE BLOG
2019.8.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
自衛隊設立の話の続きです。
1952年4月に、日本が第二次世界大戦を戦った大半の国々との間で結んだサンフランシスコ講和条約(1951年調印)が発効しました。
日本国が連合国による占領状態から独立を回復することになるのです。
それまでは 日本が外国の軍隊に占領されていたことを若い方は知らないのかなと思います
そしてサンフランシスコ講和条約調印と同時に
日米安全保障条約が日本とアメリカとの間で調印されます。
日本はアメリカと安全保障条約を結ぶことによって、直接的、間接的な他国の侵略から日本は守られることになるのですが、
アメリカは日本が自分でより多くの責任を果たすよう期待するといった内容の安全保障条約の文言を日本側が実行に移す必要が出てきました。
このような事情から警察予備隊は保安隊に変えられ、海上警備のために警備隊が設立されることになります。
保安隊や警備隊を管理する役所、保安庁(ほあんちょう)の設置について、日本政府からは独立を回復し国力に合うよう行政の仕組みを改革する必要が出てきて、警察予備隊と海上の警備機能を合わせて一緒に運営出来るようにして治安の確保に努めたいといった内容の説明が議会に向けてされていたようです。保安庁法という法律の中では警察予備隊令の内容と同じように日本の平和と秩序を維持することや人命、財産の保護もうたわれています。
保安隊、警備隊設立の二年後に新たに自衛隊を発足させることになったのは1954年に効力が発生した日米間の協定、日米相互防衛援助協定が関係しているようです。
この協定はアメリカ政府の他国への経済援助方針が変化したことによって日米間で新たに結ばれた約束です。アメリカが日本に経済支援をする代わりに日本は自国の今までの状態から更に軍事力を増強するという義務を負うことになりました。
このようなアメリカとの約束を果たすために日本側は国内の治安維持を主な目的にしていた保安隊や警備隊といった組織を自衛隊に変えることになります。
制定当時の自衛隊法では公共の秩序の維持については必要に応じあたるものの、
自衛隊の主たる任務を直接侵略、間接侵略から国を防衛することと位置付けています。
警察予備隊令、保安庁法にある内容と比べて国防を主目的としているところが大きく変化して現在の自衛隊になるのですね。
明日は
その自衛隊の最高階級の
統合幕僚会議議長についてです。