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社長&顧問ブログ

2022.9.14

BC級戦犯

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 靖国神社へ 戦犯が合祀される話でした。

 

昨日も書きましたように

戦犯の多くは 自ら犯罪を犯したと思っている人は少なったと思います。

将校であれば仕方無いにしても

一般兵士は 上官の命令に従っただけなのです。

 

今の時代では 理解しがたいと思いますが

戦時中の軍隊では 命令は絶対なのです。

 

どんな理不尽な命令であろうとも 従うのが軍人であると

徹底的に叩き込まれていたからです。

 

上官の命令は 天皇陛下の命令であると教え込まれている以上

それに従わないという事は 逆賊の汚名を着せられてしまうのです。

これでは 親戚家族にも迷惑が掛かりますし

自身も最悪銃殺される可能性があるのです

 

昨日も書きましたが 映画「私は貝になりたい」 で C級戦犯として

死刑になる兵士は 家族を愛するごく純情派一般市民でした

それが 一枚の赤紙 すなわち 召集令状により入隊させられ

戦地へ送り込まれ そこで たまたま捕虜となった米軍の兵士の

処刑を上官から命じられてしまうのうです。

 

最初は 拒否しようとしますが 命令は絶対です

本人の意思とは関係なく 捕虜を殺害するのです。

 

しかし 戦後の連合国の裁判では そんな事情は考慮されず

捕虜殺害の実行犯として死刑に処せられるのですから

あまりに理不尽としか言いようがありません。

 

しかし これが 戦争の現実だったのです。

 

又 A級戦犯になった指導者たちの罪名は 「平和に対する罪」 です。

 

この罪は 事後法と言われており

戦争が終わった後に作られた法律によって裁かれるのですから

これも 理不尽としか言いようがありません。

 

簡単に言いますと

今日まで コーヒーを飲んでいたのに 翌日になって

コーヒーを飲むと死刑だとの法律ができて

 

おまえは 昨日コーヒー飲んだから 死刑と言われるのと同じ事で

その時に無い法律では裁けないのですが

それを この 平和に対する罪は 戦後無理やり 作った法律で 裁いたのですから

完全に国際法違反と思うです

 

この事は 当時の判事の中にもその意見を言う人が居ましたが

完全に無視されてしまったと言う話があります

 

この話は 又 後日という事で

 

戦犯として死刑になった人の合祀は

占領の終結、すなわち日本の主権回復の1952年になって、

法務省により、

戦犯は日本の裁判所で刑を受けた者と同様に扱われるとした従来の解釈を取り消し、

戦犯の公民権回復を認められたのです。

 

1953年からは公的援護の法改正があり、

戦犯の刑死・獄死も公務死に準ずる「法務死」とされました。

また日本遺族会などの陳情を受けて、

厚生省と靖国神社が「合祀事務協力」を始めるのは1956年になってからなのです。

 

靖国神社は政治的にも重要な神社なのですが

 

この話は一旦おいて

 

A級戦犯って 一体誰なのか??

連合軍は 彼らを戦争指導者と認定していたのです

 

その中に 昭和天皇はいたのか?????

 

その話は

 

明日へ続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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