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社長&顧問ブログ

2022.10.16

E電??

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 列車の 食堂車の話から寝台車の話になってしまい

松本清張の話から どんどん逸れてしまっています。

 

今では 食堂車も寝台車も普通では見かけない時代になってしまいました。

 

それこそ JRが もともとは国鉄と言ってたことさえ 知らない人の方が

増えているのではと思います

 

そう考えると いつ国鉄はJRになったのか?? と考えてしまいます。

 

鉄道オタクではないので うる覚えですが

山手線の事を 省電 と言ってた時代があったかに聞いています

そして JRになった時 一時期 E電とも呼ばれていた時期があったのでは

と思い出しました。

 

また やまてせん と やまのてせん の違いは何なのか???とか

 

電車一つとっても いつの間にか名前が変わったり どうしてそうなったのか???

とか 覚えていないものですね、、

電車の等級も 一等車 二等車 三等車と言われた時代から

グリーン車 指定席 自由席と 言う言い方に変わってます。

 

では グリーン車は 昔の一等車かと言うとそうではないようです。

二等車が今のグリーン車なのだそうです。

 

そもそも 戦前の一等車は 幾らお金を出しても庶民は乗れなかったみたいです。

今で言う 上級国民 いわゆる 身分制度における 華族のような人達しか

利用できなかったそうです。

 

いまでは 侯爵 公爵 男爵 伯爵 子爵 のような言い方はしません。

しかし 昔はしっかりこのように華族の中にも さらに身分制度があったのです。

 

この話は 又 別の機会という事で

 

電車の話に戻りますが

 

先ずは E電です。

 

国鉄の民営化にともなって誕生したJR東日本では

「国電」に代わる新名称の選考委員会が開かれ公募した数々の案から、

選ばれたのは「E電」という言葉だったのです。

 

E電区間は、

東京を中心とする通勤各線である山手線、京浜東北線などの16線を指しました。

しかし、現代社会で「E電」の文字を見かける機会はなく、

かつてあった言葉として話題にのぼることすらないですね。

 

E電は、もっとも短命に終わった死語だと言われています。

我々が 全く使わない E電ですが

 

JR東日本内部では まだ時々使われているそうです。

 

E電の前は、

都市部の近距離電車について、主に首都圏で「国電」という用語が広く使われていたのは

私はまだ覚えていますが

その前の鉄道省時代は「省電」と呼ばれていて

それ以前の鉄道院時代は「院電」と呼ばれていたことは 全く知りませんでした。

 

では

山手線と山の手線の違いは何なのか??? にも興味湧きますね

 

それは、、、

 

 

明日に続く、、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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