EXECUTIVE BLOG
2024.12.11
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは いつの間にか イタリアは連合国へ寝返っていたと言う話でした。
私は 日独伊三国軍事同盟を結んでいたので ある意味運命共同体かと思っていましたが
いつの間にか 寝返って連合国側に立ち
日本に宣戦布告までして来ていた事には驚きました。
日本は 最後の一兵まで戦う、本土決戦に持ち込み逆転をすると誰もが信じていました。
イタリアの様に 軍部内閣を倒して 内閣が変わり イタリアの様にさっさと寝返れば
良かったと思うかたも居るかもしれません。
日本が負け戦と分かっていても最後まで ポツダム宣言を受諾しないと考えていたのは
国体護持がはっきりしなかったからなのです。
国体護持だけは絶対に死守しなければならなかったのです。
では この国体護持とは 何か?? と改めて聞かれると答えにくいですよね
今日は この国体護持について、、、。
「国体護持」って簡単にいうとどういう意味かと言いますと
国体=「天皇がいる社会」ってことになります。
これが太平洋戦争で負けたときはかなり危なかったと言うわけです。
「国体を護持する」という言い方をした場合、
「今までの国のあり方を変えずに守る」という意味になるのです。
日本の場合、「従来の日本の国のあり方」というのはわかりやすくいうと
「天皇制」と言う事になります。
日本には歴史が始まって以来ずっと天皇がいますから、
天皇制という国のあり方が「国体」そのものといえるわけになるのです。
アメリカであれば「国体」といえばそれは「選挙で大統領を選ぶ共和制」という意味になるでしょうし
北朝鮮であれば 金王朝を守る事が国体と言う事になるのです。
日本は 天皇の国家を守る事が国体護持になるわけですが
ポツダム宣言を受諾するかどうかの時に
天皇の地位についても言葉が盛り込まれていなかったのです
これにより 軍部はいきりたって 国体護持が明確でない場合は
徹底抗戦やむなしとの結論を出していたのです。
日本政府は 天皇の地位を守ると言うことでの条件が守られれば 宣言を受諾すると
連合国側に申し出たのです。
連合国としても 日本の長い歴史の中で それほど天皇制が大切であるならば
仕方がないとして
日本政府に回答した言葉に問題がありました
それは 天皇及び日本国政府は 連合国に subject to すると書かれていたのです。
このsubject toと言う言葉を 外務省は 制限の下に置かれる訳したのですが
軍部強硬派は 隷属されると訳したのです。
一つの言葉でも訳し方ひとつで 中身が大きく変わりますね
制限ならまだしも 隷属となると 天皇陛下は 連合国の奴隷のような状態になるのでは
と危惧して 絶対に受け入れられないとの意見を出し
連合国側に 再照会をしろと 外務省に圧をかけるのですが
この期に及んでの 再照会は 交渉の決裂につながると言う事で
これを受け入れる方向で進んだのです。
それほど 国体護持は大事な問題でしたと言う事になります。
今も昔も日本人にとって「天皇がいない社会」というのはどうもしっくりとこないのではないかと思います
現在の日本国憲法でも何よりもまず1条から天皇についてのルールを決めていますね。
皇室に所属する人が亡くなったり、結婚したりすると全国的なニュースになります。
天皇陛下が災害の被災地に行って被災者を励ましている姿を見ると
なんとなく「ほっ」とするという人がほとんどだと思いますが
内閣総理大臣が被災地に行ってもなんとなく「早く何とかしろよ」という気持ちになります
天皇陛下が行くと「ありがたい」と心から感じるのは、
なんだか不思議ですが日本人共通の気持ちだと思うのです。
戦前は今よりももっと天皇というものを尊敬していましたから、
連合国の国体護持がはっきりしないポツダム宣言を絶対に受け入れられない!
ということで「国体を護持せよ」ということが盛んにいわれたわけです。
戦後の世の中の日本は国民主権の国なんだから、天皇中心主義の国体っておかしくない?
かとの意見もあるようですが
そうではないと考えられます
この話は
明日に続く、、、、。