EXECUTIVE BLOG
2024.12.5
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 第二次世界大戦後 国際連合が出来て
日本やドイツは いまだに 敵国条項扱いになっているという話でした。
そして 日本もドイツも 戦後 戦争裁判が行われ 多くの政治家や軍人が
処刑されました。
特に A級戦犯の7人は絞首刑となりましたが
現代の方の多くは 他にも B級C級裁判において 命令で動かされていた
下級兵士迄処刑されていたのです。
この話は 随分前に 「私は貝になりたい」 と言う映画の話を
書いていますので そちらを参考にしてください。
平凡な理髪師が 赤紙によって軍に招集されて 上官の命令で米兵を殺すに様ですが
軍隊における上官の命令は 天皇陛下の命令である と教え込まれていましたので
一兵士と言えども逆らう事が出来なかったのです。
前に 平安時代の話を書きました まだ その続きもあるのですが
話しが 逸れて 戦争裁判の話にまでなっていますが
平安時代は400年ほど続いていたのです その間 色々な日本文化が花開いて行くのですが
その話は 又後日と言う事で
この400年間 朝廷内の争いごとが多少ありましたが
国家をまたいでの戦争と言うのは無い時代でしたね、 本当に400年間平和な時代
だったのです。
やがて 武士が台頭して 源平の戦いも起こりますが これも国内の争いです。
明治時入るまで海外との戦争を体験していないのが日本でした。
ヨーロッパを見てみますと 紀元前から幾多の戦争を行っています。
鎌倉幕府が出来る前くらいには 十字軍の遠征が行われ 大規模な戦争が行われていました。
日本が 本格的戦ったのは 太平洋戦争が最初と言って良いのではと思います。
その前に 白村江の戦いや元寇とも戦っています。
白村江の戦いは 朝鮮の百済との連合軍でしたから 単独で 朝鮮半島へ派兵したわけではありませんでした。
この話は 長くなるので 又次回にでもと言う事で
次の元寇の襲来は 当時世界の半分くらいを制覇していた 中国の元が 日本へ
襲来してきたのです。
二度にわたる大規模な襲来を 当時の日本軍ともいえる 鎌倉武士が防御したわけですが
これは 実力で勝ったのではなく 偶然にも台風が来て 元寇軍が自滅したのです。
本当にラッキーな事でした
このラッキーが それから 700年ぐらい後の 悲惨な太平洋戦争に繋がるとは
誰も思わなかったと思います
何故元寇の戦いでの出来事が 太平洋戦争に繋がるのか???
の話しも長くなるので これも又と言う事で、、、
西欧に比べて 戦争慣れしてなかったのが日本と言える気がします
が
第二次世界大戦の敗戦により
これも 敗戦ではなく ポツダム宣言を受諾したのだ と言われる方もいますが
世界的にみて 日本は敗戦だったと考えられています。
そして この悲惨な 第二次世界大戦後に 国際連合が出来るのですが
国際連合と言うのは 日本がこじつけで日本語に訳したのであって
元の言葉は United Nations ですね
これを良く見てみると ある事が分かります
そして それを紐解く事で
何故イタリアで戦争裁判が行われなかったか? が 見えてきます。
話しが 中々進みませんが
その謎に
明日は続くのか?????