EXECUTIVE BLOG
2019.11.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです
歴史は いろんなきっかけが交差して 出来上がって行っていると
言う話
それが 坂本龍馬の行った事をもとに検証してみました。
何故彼が 欧米の事情に詳しかったのか??
それも いくつもの偶然と言うかきっかけの重なり合いの結果だったのです
そして それを突き詰めていくと 一つのいじめが浮かび上がると
言うから 面白いのです。
そして今日からの話は そのいじめを作ったきっかけは?
その結果 なぜ坂本龍馬は 薩長同盟を思いつくのか??の話を
進めなければなりませんが
またまた ここで 話を逸らしてしまいます。
では 何の話に逸れるかですが
これは 昨日 坂本龍馬の話を書いているときに ふと思い出したのですが、
最初の時期に書いたように私のブログは そもそも 下書きもなく その日その日で
思い付きでかいているので
毎回 取り留めもなく書くもので
それで 話があちこち飛んでしまうのです。
この点はお許しください、
では 昨日何を書いているときに浮かんだかと言いますと
坂本龍馬が 河田小龍から話を聞いている中で
アメリカには 大統領と言う制度があって 平民が 選挙と言うもので
選ばれ 国を統治することを知る
と言う事を書いていたのですが
今日 ふと 思いついたのは そもそも 日本には大統領と言う言葉ありません
日本は 平民が国を統治するなんてことは古代から江戸時代までありえなかったのです
しかも 江戸時代は 絶対的な権力を持つ徳川幕府でした。
その最高峰が将軍で これは基本世襲制ですよね。
徳川は15代も続くのです
この間一度も徳川家以外が将軍になったことはありません
もし 他の人間が将軍になるためには 徳川幕府を打ち破り
そして朝廷から 将軍を任命されて初めて 将軍と名乗ることができ
幕府を開くことが出来るのです
話が逸れたついでに
更に逸れますとそもそも日本は朝廷が権力を握っていましたが
武士の現れと同時に その武士の一番強い人間が 朝廷から将軍を任じられるのですが
そもそも 将軍とは征夷大将軍の事ですよね
要するに 朝廷の敵を倒す頭のひとに与えられた位です。
ここが 歴史を見る時に特に外国人には判り難いところなんでしょうね
一番強い人が 王様になったりして 次々に権力の座が代わるのですが
朝廷の凄いところは 権力をあくまで握るのではなく
任命権者として生き残る道を選んだというか そうなった事が
凄いなと思うのです。
そして 一番になる人は 権威ある人から あんたが一番と 言われることが
一番の証明になるわけですから
自分が天皇を倒すよりも 天皇を生かしておいて その天皇から
あんたは偉い人 とお墨付きを頂くことで 国を治める権利を手にしたのです
と思います。
そんなことで 権力の2重構造みたいなところがあるので
開国を迫った米国も最初は戸惑ったようです
いくら幕府に要求しても 幕府は朝廷の許可がないとと言うし
それでは直接朝廷に出向くと言うと それだけはやめてくれと言う感じだったようです。
明治以降の日本の軍部も似たような話がありますが
そこまで話が行くと何がなんだか分からなくなるなるので
今回は アメリカの大統領の話です。
先ほど書いたように 大統領と言う言葉は日本になかったわけですから
一体 プレジデントを 大統領と訳したのだれなんだ どうしてなんだ?
と思いたくなりますね
では
何故 プレジデントが大統領と訳されたのか???
えっ! そんな馬鹿な!
と思うような感じで決まったようですよ
それは
明日に続く、、。