EXECUTIVE BLOG
2020.6.27
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日は 昭和49年におきた我々にとっては
非常識な出来事の話を書く予定でしたが
その内容を書く前に
終戦を迎えるまでの出来事について書かせて頂きました。
軍部の非常識の話
首相が取られた非常識な行動
そしてそれを受けて 天皇陛下が常識では絶対ありえないお言葉を
発したと言う内容でした
そして今日からは
軍部の非常識を 戦勝終結派が非常識な手段で終戦へ持ち込む話と
続いて行きます
そして このことが理解できれば
戦後約30年も経って 国民の多くが戦争を忘れていた時に起きた
非常識な出来事に感銘を受ける話へと続くのです。
そこまでの話は書き始めると長くなりますが
八月十五日の終戦の日までの話を調べると
天皇陛下と政府と軍部の立場と動きがわかりますので
今日からポツダム宣言を連合国から通達されてから
終戦決定までの話を書かせて頂きます。
最高戦争指導会議におきましては、議論は二つに分かれたのです。
即ちポツダム宣言を無条件に受諾してここに戦争を終結すべしという意見と、
このまま本土決戦を覚悟して戦争を継続すべしとの意見が対立したのです。
この決戦論者も唯連合軍側がその時のままの状況で停戦し、
我軍隊も無条件降伏という形をとらず、
それぞれの地点から自発的に撤退復員することである事と、
保障占領軍も我本土に上陸せず又戦争裁判を日本国の手によって行うことを承知するならば、戦争をやめてもよいというのでありますが、
それは連合軍に対して出来ない相談であります。
連合軍はあくまでも無条件降伏を申し付けて来てるからです。
それであるならば軍部としては結局戦争を継続するという主張しかできなかったのです。
最高戦争指導会議前の内閣の閣議に於いては経済関係閣僚からそれぞれ国内の経済力、
軍需力の話がありいずれももう戦うだけの戦力は残されていないと言う事で
戦争終結の主張をする閣僚が多くいたのですが、陸軍大臣は絶対に反対するのです。
陸軍大臣が反対する以上 閣議の決定にならないのです。
それを受けて最高戦争指導会議を行うのですが、
そこでもなかなか結論が出なかったのです。
この会議の途中には、長崎に第二回目の原子爆弾の攻撃が行われ参加者皆沈痛な面持ちになるですが誰一人終戦に向けての議論は出せなかったのです。
それは軍人たるもの自ら終戦にしましょうなんて事が言えないのが軍人の常識だからです。
そして、会議は午後八時に至るも議決が出ずにいたので
総理は結論を天皇陛下にご聖断を仰ぐと言うそれまでは絶対にあり得ない非常識のウルトラCを提案したのです。
これには参加者一同驚くのですが、
問題は陛下の御聖断を如何なる方法で受けるかということであります。
即ち総理が陛下の思召しを伺つて、大臣その他に伝えるのも一つの方法でありますが、
そういうことをすると、陸軍の若い人達など総理は嘘を言っているといって、
どういう事態が起こらないともがぎらないので、懼れ多くも、御前会議を開いてその席で御聖断を承るようにしようと総理は決心したのです。
所が御前会議を開く為には、陸軍参謀総長、海軍々令部総長の同意が必要だったのです。
両総長は政府及び軍の意見が統一しない限り、御前会議を開くべきではないといっていたのを、総理は半ば両総長をだますようにして二人の署名花押をとり、御前会議を開くこととしたのでした。
まずはここまでの手順を経て やっと終戦に向けての会議を開くことが出来たのですが
ここからまだまだ大きな問題があったのです
その話は
また明日へ、、。