EXECUTIVE BLOG
2020.6.29
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日までは
ポツダム宣言受諾までの話を簡単にまとめました。
戦争継続が常識である軍部を説得するのにあたり
鈴木貫太郎首相がウルトラCの非常識の手段を使い
結論が出ない御前会議において
天皇陛下に意見を求めると言う手段を使ったのです
このやり方に 阿南陸軍大臣は天皇の意思を理解し
猛反対する陸軍を取りまとめて行くと言うのが
昨日までの話で
今日から
新しい話にするつもりでしたが
もう少し 当時の事を知りたいと言う意見もいただきましたので
付け加えさせて頂きます。
私は 歴史学者でも政治学者でもありませんので
正式な事は全く分かりませんが あくまでも私感ですが
当時の軍部や指導者は自分たちの口から戦争を終結しようと
言い出せなかったので
天皇の口を借りて 意見を述べさせて
陛下がこのように申したから それに従いましょうと舵をきったように感じます。
悪い言葉で言えば天皇陛下を利用したと言うことになるのではと感じました。
ただ そうまでしなければ終戦することができないと
鈴木貫太郎首相は考えたのが凄いことだと思います。
よく 戦争を終結させたのは天皇陛下なんだから 戦争を開始させなければ良かったのだ
だから 戦争責任は天皇陛下にあると言う論議がなされています。
しかし 今回のポツダム宣言受諾における一連の流れを見ればわかるように
天皇陛下はそれまでは決められたことに裁可されるだけで 終戦の時に初めて
意見を求められ発言をすることができたのです
すなわち戦争を開始するときも 政府も軍部も戦争を始めますよと
天皇陛下に報告をされただけで 天皇は国が決めたことだと言うことで
裁可されただけなんです。
終戦の時も 幾ら天皇が意見を述べても 陸軍大臣が反対をして閣議で
自署押印をしない限りは国の決定とはなりませんし
内閣が総辞職して 戦争継続派の総理大臣が就任してしまえばいくら
天皇が意見を言おうとも
あの時ポツダム宣言を受諾しなかったかもしれないのです。
鈴木首相の知恵が無くて 当時の陸軍大臣が阿南大臣でなければ
終戦を迎えることが出来ず もしかしたら日本国は滅んでいたかもしれなかったのです。
また奇跡的な巡り合わせもあったのです。
阿南大臣は 若い時に天皇陛下の侍従武官として 天皇に常時奉仕しており
軍事に関する奏上の伝達にあたるなどをしていたために
天皇陛下のお気持ちを誰よりも理解していたのでした
そして なんとその時の侍従長だったのが 鈴木貫太郎首相だったのです。
この奇跡的な巡りあわせがあったので 無事に終戦を迎えることができ
日本は破滅することなく 平和国家として再建していくことが出来たのでは
思うのです。
それから 阿南大臣は 閣議で最後に署名押印をした後
鈴木首相のもとを訪れ 会議における強硬な意見を述べてきたことを
お詫びされたのです。
鈴木首相も それは 彼の個人の意見ではなく 軍部の圧力があっての
行動と言うことは深く理解されていたのです。
陸軍大臣の役目としては仕方がないと言う事だったのです。
そして
その後阿南陸軍大臣は 私邸へ戻り 八月十五日の玉音放送が流れる当日の
早朝 自宅にて 天皇陛下へのお詫びと全軍へ責任を取ると言う形で
割腹自殺を遂げるのでした。
この事により 戦争継続を叫ぶ軍人が多くいて 不穏な動きも多々あったのですが
全軍人がこのことで 一斉に終戦と同時に武装解除に応じるのでした。
連合国は終戦したとはいえ 多少のゲリラ的な攻撃があると思っていたのに
一糸乱れず粛々と武装解除に応じる日本軍を見て感銘を受けたともいわれています。
そういう意味では阿南大臣は本当に器の大きな方であったのではと思います
最後に 阿南大臣の遺書です
遺書
一死以て大罪を謝し奉る
昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾
神州不滅を確信しつつ
辞世
大君の 深き恵に 浴みし身は 言ひ遺こすべき 片言もなし
真意
阿南惟幾は終戦を望む天皇の真意を悟り、阿南自身の本心も終戦にあったとの節が有る。
しかし阿南自身が終戦を唱えれば、阿南は陸軍に暗殺され後任の大臣が出ず鈴木内閣は総辞職し、終戦が実現しない事も予想され、天皇が最も恐れた「陸軍の暴発」と「倒閣」を招く惧れがある。これを阻止するために、表向きは強硬な言動により主戦論者を装い、戦争継続・本土決戦を主張し続けた責任を最後に自決と言う事で責任を全うされたのでした。
写真は阿南大臣の血染めの遺書です
割腹自殺の時に飛び散った血で染まってます。
明日は
続きに戻れるか??
続く、、。