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社長&顧問ブログ

2020.9.14

田沼意次が居なければ!!????

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日は

歴史の絡み方の面白さについて書かせて頂きました。

 

私は 歴史学者でもありませんので

書いてあることが正しいかどうかは分かりません

 

中学高校の歴史の授業の中で知って覚えたことを

思い出しながら書いているので

かなり 間違いや一人合点もあるかと思いますが

ご容赦頂ければ幸いです。

 

さて そんな中 ペリー上陸時に演奏された

後に日本では アルプス一万尺として歌われるようになった歌

が「ヤンキードゥードゥル」なんですが

“Yankee”とはイギリス軍がその植民地アメリカの軍隊を指して使った言葉で、

“Doodle”とは「まぬけ」といった意味なのです。

イギリスではヤンキー(アメリカ人)が臆病者のくせに山師であるというニュアンスの侮蔑的な歌として紹介されているのです。

 

この歌が いつのまにか 日本では 

アルプス一万尺となったのですが その理由は 私は知りませんが

このように見て不思議に思うと これも調べてみようかと言う気になりますね。

 

そして 昨日からの続き

 

八丈島が 米国になる危機を救ったのが

遡る事約100年前の 当時江戸幕府老中であった 田沼意次だと

言う話になります。

 

なんで幕末の話が 100年近く前の 田沼意次と関係するのかと

思うでしょうが

これからは 私の勝手な史観で書いてみようと思います。

 

言わずと知れた 田沼意次は 我々が 中学時代に習った限りでは

賄賂の帝王とまで呼ばれた悪人の様に習った事だけが記憶にあります。

 

田沼意次は 10代将軍・家治の時には老中にまで登り詰めました。

 

当時の幕府は、財政赤字で悪化の一途を辿っていました。そんななかで意次は、いわゆる「田沼政治」と呼ばれる政策の数々で、財政難を乗り越えていくのです。

 

老中になって経済政策を託された意次は、

財政赤字を改善するために数々の経済政策を実行します。

 

これは「重商主義政策」と呼ばれ、

株仲間の結成・新田の開発・鉱山の開発・蝦夷地の開発・外国との貿易などです。

米から金へと切り替える、つまり旧来の農民中心の経済から、

商業を中心とした経済に切り替えるという、先進国にも近い政策だったのです。

 

今考えますと 非常に開明的な方だったのですね

 

その時 交流があった中に

平賀源内が居て 蘭学を保護し学者がオランダの本を読むことを許可しました。

 

これが無ければ、後の杉田玄白や前野良沢による『解体新書』の翻訳はおこなわれなかったかもしれないのです。

 

この時、開国よりはるか前に 田沼意次は 海外に目を向けていたと言う事なのです。

 

そして 海外に目を向けていると 色々な事が情報として入ってくるのです。

 

日本は島国だから 外国からの侵入はないと当時殆どの方が考えていました

しかし その時 田沼は不安を感じたのでしょうか

 

そして 当時仙台藩に居た 林子平と言う人と縁が出来るのです。

 

この林子平は 寛政の三奇人と言われる人物なのですが

 

何故奇人と当時言われたかと言いますと

 

「ロシアは今後北海道から日本に上陸し、そのまま本州のほうに攻め入ってくるのだ!」

 

「江戸湾から侵入されてしまう危険性がある!」

 

「というか日本全国の沿岸に砲台設置しないとヤバい!」

と言うようなことを説いていたのです。

 

当時は幕府の中枢以外の人間が幕府の政治に口を出すのはいけないことでしたので

奇人と言われていたのでしょうね

 

そして この いつの時期か分かりませんが 田沼意次と林子平が出会ったのです。

 

田沼も当時、ロシア対策で蝦夷地探索をやってましたから

林子平の考えにピント来たのかもしれません

 

それで

 

田沼はどうしたのか??

 

後年悪老中と言われた 田沼が居なければ

日本は最大の危機を100年後迎えることになったのかもしれません

 

この話は

 

明日に

 

続く、、。

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