EXECUTIVE BLOG
2020.11.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 話が福岡ネタになっています。
全国を回ると知らない事ばかりですが
足元の地元を振り返ってみると
地元の人間でも知らない事が多々ありますね
そんな中でも 福岡にある平和台の話になってます
それは 何故 福岡城には天守閣がなかったのか と言う話です
諸説色々あるようですが
私の勝手な考えを書いていますので もしかすると学者さん達に
叱られるかもしれませんが
あくまでも 私感という事でご容赦頂きたいと思います。
官兵衛の一言で 秀吉の信頼を失い その子 長政は
父親の轍を踏まないように必死で家康の為に動き
天下分け目の関ヶ原を勝利に導くのですが
その家康からは父親の事もあり 気を許されてなかったのです。
実際この時は まだ如才も生きていたので まだ天下取りの夢は持っていたのです
それを 察していたのか 家康は
江戸城造営に際して 福岡藩に天守閣造営を押し付けたのです
そこには莫大なお金がかかります。
それまでは福岡城は難攻不落の城を作る予定でしたが 予算の都合で
天守閣の土台の部分だけを作り 天守閣を建てることが出来なかったのです。
予算の範囲内で出来るだけ実戦向けの平城となったのです。
その後 大坂の陣が起きるのですが
長政は 江戸に張り付かされており何の働きも出来なかったのですが
実は 家康の判断は正しかったのです
何故かと言うと この戦いの後 長政が大阪方に大量の米を送るなど
後方支援をしていたことが発覚したのです。
この時も 長政は言い訳と平謝りで切り抜け
所領を守り抜いたのです。
それでも 長政は 徳川政権は長く続かないと考え
城内に大量の米と金を蓄えているのです。
この考えは 次の代ににも繋がっていくのですが
武家諸法度を次々と破り 大船建造や家臣増員を始めるのですが
時の家老 栗山大善が幕府に密告するなどの 黒田事件が起こり
結果的には黒田藩取り潰しの危機を救うことになるのです。
まだまだ 黒田に関する話はありますが
これだけの話も 地元の人間で知っている方は少ないのです
福岡城のある場所は 地元の繁華街 天神と言うところから
近い場所にあります
このあたりを 歩いていると
不思議な道路に出くわすことがあるのです。
これも 福岡城に関する事なのですが
それは何なのか???
その話は