EXECUTIVE BLOG
2020.12.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです、
昨日までは 戦前からの理不尽な話から
戦争裁判も 理不尽な法解釈から多くの戦犯が
生贄のように死刑になってしまう話から
少し 話がそれで
昭和8年に起きた ゴーストップ事件と言う話。
これは軍隊対警察のメンツの戦いになるのですが
この事件が元で日本は軍部が力を持つことになり
やがては 太平洋戦争へと突入してしまうのです。
たかが 一兵士と巡査の件かでは済まない事件だったのです。
ゴーストップ事件とは、1933(昭和8)年6月17日、大阪市北区の天神橋筋6丁目交差点で、陸軍歩兵第8連隊に所属する兵士が信号無視をした事がきっかけで始まった事件です。
この日兵士は非番で、急いで市電に乗りたかったらしい。
それを見とがめた巡査が、派出所まで連行しようとしたのだが、
はからずも公衆の面前で取り押さえられる形となった兵士が、
「軍人を身柄拘束できるのは憲兵だけ。巡査の命令になど従わぬ」などと抗弁したことから、ついには派出所前で殴り合いのケンカになってしまったのです。
見かねた通行人の通報で、憲兵が駆けつけて兵士の身柄を引き取り、
ひとまず騒ぎはおさまったかに思えたのですが、
現場の責任者である連隊長と警察署長が、いずれも不在であったことから、話がややこしくなって、それぞれ上級官庁(陸軍省と、戦前は警察の監督官庁であった内務省)に報告が上がってしまったのである。
まずは陸軍側が、制服の兵士を拘束しようとしたのは不穏当である、などと警察に抗議し、これを受けた警察も、
「軍人が陛下の軍人だと言うなら、警察官も陛下の警察官である」として、謝罪など論外だと応じたのでした。
その後、大阪府知事と陸軍幹部の会談も物別れに終わるなどして、対立はエスカレートし、警察署長が過労で倒れたかと思えば、ついには目撃者の一人が自殺するという事態まで起きたのです。
その理由と言うのが
警察と憲兵隊から交互に呼び出され、双方から、こちらに有利な証言をするようプレッシャーをかけられたせいであると言われています、
結局、半年近くも泥仕合が続いたのですが、
昭和天皇が心配されているとの情報を得た陸軍側が、急に矛を収める形で和解に至り、
11月20日、当事者の兵士と巡査がともに検察に出頭して
互いに謝罪した後、握手して別れたという。
世間の目には痛み分けと映ったのですが、
法曹界においては、警察権力を含めた法の支配も現役軍人には及ばない、
という解釈が根付く結果を招いたのでした。
この事件により
警察や裁判所といった司法執行機関までが、軍隊に対して及び腰になったのです。
そしてこの3年後、
1936(昭和11)年2月26日に、
2・26事件として有名なクーデターが起きるわけですが、
実は警察は、憲兵隊より先に
「一部青年将校の間に不穏な動きあり」との情報を得ていたのでした。
しかしながら軍部と再度のトラブルになることを嫌った上層部の判断で、
この情報を黙殺し226事件が勃発したのです。
この頃から 日本は軍部が力を持つようになり
先に書きました世界大戦まで突入し
その結果 日本は無条件降伏となり
極東軍事裁判が行われ 歴史上もっとも理不尽な裁判が行われたのです
一体この裁判の何が理不尽だったのか?
それは
明日に続く、、。