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社長&顧問ブログ

2021.1.2

初詣

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

2021年 一月二日です。

 

正月を無事迎えまして二日目です

今年は コロナの影響で初詣は分散型を推奨しているようですが

初詣には行かれましたでしょうか?

 

この初詣の由来と意味にも興味を持ちました。

初詣はお正月の習慣と一緒で日本古来より行われてきたようですが

実は初詣の習慣は新しく、初詣が広く行われたのは明治時代のことのようです。

 

江戸時代までは「年籠り」といって【世帯主】が近くの神社に大晦日の夜から元旦の朝まで籠るというのが一般的だったそうです。

時代を経て、それが大晦日に神社に行く、「除夜詣」と元旦に神社に行く「元旦詣」に分かれ元旦詣が現代の初詣の原型になるのです。

しかし、江戸時代においては交通機関が発達しておらず、

自分の住んでいる土地から見て、【運の良い方角】の神社にいくのが一般的でした。

現代のように有名な神社を元日に参拝するようになったのは、

明治時代のことで、鉄道会社が深く関係しているといわれています。

日本には多くの鉄道ができていきます。人々は汽車に乗ってみたいなという憧れはあったのですが、ただ乗るわけにも行きません。

「初詣」の誕生には鉄道が深くかかわっていたのです。

「初詣」という言葉が初めて用いられたのは、

1885年の『東京日日新聞』記事で、ここで登場するのが、

現在参拝者数第三位の川崎大師の記事だったのです。

 

 

当時、新橋と横浜のあいだを汽車が走っていましたが、

普段、急行列車は川崎には停まっていませんでした。

しかし、三が日は川崎大師へ「初詣」に行く人が多いため、

特別に停車することになった、ということが記事には書かれています。

 

人々は、単に信心からお参りするというだけではなく、

当時はまだ新しかった「汽車」に乗り、「郊外」に遊びに行く、ということそれ自体を楽しみにしていたのです。

 

この官鉄の汽車に加え、京浜電鉄も川崎大師に路線を開通させ、

鉄道会社による参拝客の奪い合いが起こっていきます。

そして、このような鉄道会社の集客競争は、川崎大師以外にも全国のあちこちで起こっていくことになったのです。

現在参拝者数第二位の成田山新勝寺も、複数の鉄道が競争することでお参りする人が増えた神社お寺の一つですね。

 

このように、鉄道会社同士の競争のなか、はじめのうちは恵方詣が盛んになりました。

しかし、恵方は毎年変わる上に方角も限られており、

鉄道が儲かるためには少し不安定でした。

 

そのため、鉄道会社のキャンペーンは次第に、方角を限定せず主に郊外の神社お寺にお参りする、という形の「初詣」にシフトし、

恵方詣に取って代わっていくようになるのです。

 

そこで当時の国鉄が次のようなキャンペーンに打ってでます。

 

それが

「せっかく汽車に乗るのだから正月に川崎大師に行こう」

という宣伝をしました。

これが日本全国で話題となり、人々は正月になるとこぞって有名神社にお参りに行くようになっていきます。

これによって初詣が全国に広がっていったというわけです。

それが現代でが普通になるわけですから、それを考えた人は凄いと思います。

 

いつの時代も常識に囚われず新しい発想を行う事が必要だという事を

改めて学ばせて頂けますね。

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