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社長&顧問ブログ

2021.1.17

ワシントン軍縮会議

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

長崎の軍艦島の話で

その名前は 戦艦土佐に似ているからと言う話でした。

 

その土佐は ワシントン軍縮会議で 戦艦の保有数に関する条約を

締結したことから 海に沈められてしまったと言う話でした。

 

折角建造した船を沈めるなんて

当時工事を担当していた人の気持ちは如何だったのだろうか?

と思ってしまいます

 

このワシントン会議とは一体何だったのか?を

思い出してみたいと思います。

 

 

この会議は 第一次世界大戦終了後の

国際軍縮会議で 1921年アメリカの首都のワシントンで行われた会議です。

この頃日米をはじめ各国は戦後の不景気のなかで軍事費の負担に苦しんでおり、

新しい体制を作って軍事費を減らすことが求められていたのでした。

 

総力戦であった第一次世界大戦の影響で各国は不景気に陥っていました。

戦争の影響が少なかった日本も大戦バブルがはじけて企業の倒産が相次いでいました。

それにもかかわらず、軍艦の建造競争が止まらず各国は軍事費の負担に悩んでいました。

 

 

軍縮は1国だけではできませんので国際的な協調が求められていたのです。

そしてこの条約で主力艦の10年間の建造禁止が決められたのです。

この結果 戦艦の保有を 英米が5に対して日本は3の比率とさせられるのですが

この時までは 日英同盟がありましたが

アメリカはそれを好ましく思いませんでしたし

日本の中国進出に歯止めをかけたいと考え

更には 太平洋での覇権を日本軍にとられないようにするためだったと考えられます。

その為に軍艦の建造に制限をかける条約でしたが、

力に押されたのか、日本はこれを受け入れることになるのです。

 

そして その結果

軍艦島の名付け元の 戦艦土佐は 海の藻屑となってしまったのです。

 

平和の名の下での悲しい出来事だったと思います。

 

明日は

またまた

長崎ネタへ戻れるのか??

 

続く、、。

 

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