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社長&顧問ブログ

2021.1.16

八八艦隊ってなに??

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

長崎ネタで 軍艦島の話でした

あの小さな島に 商店街から 映画館 学校まであったと言うのですから

驚きです

そしてその繫栄した町が エネルギーが石炭から石油に変わったとたん

廃墟の島になってしまったのです。

この島 もともとは端島と言われていた島が 何故軍艦島と呼ばれるように

なったかと言いますと 戦艦土佐に 姿が似ているからと言う話でした。

 

その 戦艦土佐も ワシントン条約締結されたことで 運用する事が出来ず

自沈させられると言う運命になったのです。

 

このワシントン条約を何故結ばなければならなくなったのか?

について考えてみたいと思います。

 

御存知の通り 日露戦争の時に 日本海軍は弱小艦隊で 世界最強のロシアバルティック艦隊を撃破したのです。

 

これは 本当に奇跡な勝利で もし負けていれば 日本はロシアの属国になっていたかも

しれなかったのです。

 

明治維新以来日本は富国強兵策を続け 世界に負けない軍事国になろうと

努力していたのです。

 

そして日露戦争後 世界に負けないための大艦隊計画を

八八艦隊と呼んでいたのです。

 

これは 8隻の戦艦と、8隻の巡洋戦艦から成る艦隊を指していて、

8隻と8隻なので「八八」艦隊と呼んだのですね。

この時日本帝国海軍は

世界無敵艦隊を夢見ていたのだと思います。

そして

第一次世界大戦の戦争景気を元に1916年にこの計画の最初の予算が通過して

その後1920年の予算で計画予算全額が通った……までは良かったものの、

この当時の戦艦は一隻の建造・維持にかかる費用も加速度的に膨れ上がっていった為に

八八艦隊全体の完成に要する費用は、日露戦争以後成長した筈の日本の国家予算をもってしても、賄いきれないものとなりつつあったのでした。

こうして国家予算を食いつぶすような建造費と維持費に先行きが不安視されていた

1921年に、同様に建艦競争による予算逼迫を重荷に感じていた列強諸国はワシントン海軍軍縮条約を締結することを決めて、各国の建艦計画自体を制限することで、競争そのものを手打ちにしようと決めたのでした。

このため八八艦隊計画の完成も幻に終わり、日本は財政的には救われたように思うのですが

この時のワシントン海軍軍縮条約が 不平等場だと言われているのです。

 

 何故か??

 

それは

 

明日に続く、、。

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