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社長&顧問ブログ

2021.1.30

非常識な発想で歴史に名を残す?

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは ナポレオンから ベートーベンの話から

絵画の話へと展開してました

 

色々過去の事を眺めてみると

変わり者と思われた人が 後には時代の先駆者として

称えられているのだなと気が付きます。

 

中には 変人だけで終わってしまっている人物も多いでしょうが

歴史に名を残すのはある意味当時では変わり者だったのでしょう

 

ここのブログでも何度も取り上げた

江戸時代の高山彦九郎 林子平 蒲生君平 は

寛政の三奇人と言われていたのですが 奇人であったが故に 歴史に名を

残したのでしょう

 

これから 取り上げようと考えている 平賀源内 や 医学の進歩に

貢献した楠本イネもある意味奇人でしょうし

 

皆さんご存知の 坂本龍馬も奇人の類と思います

 

そういえば 私も 子供のころから変わり者と言われていましたので

これから歴史に名を残せるのではと密かに期待しています

そういう事を考えるから変わり者と言われるのでしょうが、、、。

 

それで 昨日からの続きに戻らなければなりませんね

フランスの画家のマネの話です。

 

マネは 画家の中では 印象派の父とまで言われた人です

彼の描いた絵が それまでの常識を破る絵であったために

世界に物議を醸すことになったのですが

 

それが《草上の昼食》という絵画なのです。

 

下に画像を添付していますが

何か違和感を感じませんか??

 

まずこの絵の登場人物は、男性2人、女性2人の計4人です。

そしてまず目がいくのは、一番左でこちらを振り返る裸婦ですね。

 

まさにこの女性が「違和感」で世界的に物議を醸したのです。

では

男性2人は服を着ているのに、どうしてこの女性は服を着ていないのかと

不思議に思いませんか?

 

同じ時代の絵に

アレクサンドル・カバネル作の《ヴィーナスの誕生》と言う絵があります。

 

この2つとも「裸婦」を描いた作品です。

しかし1枚目の《ヴィーナスの誕生》に描かれる裸婦には何も違和感を感じられません。

何故かと言うとその絵は

裸婦が波の上に寝転んだり、空を飛ぶ天使たちが居ると言う非現実的な状況から、

この裸婦が女神ヴィーナスであることがわかるからなのです。

 

当時、宗教画や神話を描いた作品では、

女神は服を着ていない裸婦として描かられることが普通だったのです。

ですから女神であるヴィーナスが裸婦として描かれていることに対して

当時の人は何も違和感を感じなかったのです。

 

しかし、マネの《草上の昼食》の裸婦は女神でしょうか?

よく見ると、男性2人は裸ではなく普段着で描かれています。

 

そして裸婦の手前には脱ぎ捨てられた服があることから、

もともとこの女性は服を着ていて、その服を脱いだということになります。

つまり彼らは神や女神ではなく、普通の一般市民なのです。

女性は娼婦で男性は中流階級とも言われています。

 

今でこそ裸の絵とか写真は当たり前の時代かもしれませんが

当時、一般市民の女性をヌードで描くという文化は無かったので

世間に衝撃を与えてしまったのです。

 

当然マネは相当な批判を受ける事になるのです。

 

当時の常識は

裸婦=女神でなければならなかったからです。

 

しかしこのマネの《草上の昼食》こそ、神ではなく人間、

つまり永遠性ではなく瞬間性を捉えようとした印象派の源流ともなる作品なのです。

西洋美術史においても、とても重要な絵画と後年評価を受けることになるのです。

 

では 当時の画家たちは 自分たちは印象派であると 名のっていたのでしょうか?

 

一体誰が名付けたのか?

 

その代表的な作品とは????

 

 

それは

 

明日に続く、、、。

 

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