EXECUTIVE BLOG
2021.2.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日までは フランスの話が続き
あまり得意ではない 絵画の話になってしまい
ミレーから 印象派の父のマネの話
そして 印象派の中心的画家であるモネの作風のはなしへと展開しました。
私は絵画に興味があるわけでありませんし 美術を学んだ事もありません。
なので 絵の評価とか出来ませんが
一般人は 誰か偉い人が良いと評価すると それを悪くいう事はし難いものです。
ピカソと言う天才画家の絵など まったく学んだ事が無い人が見たならば
下手くそと思うのではないでしょうか?
私が美術に興味を持たなくなった一つの理由に
中学時代の美術の授業があったと思うのです。
もともと 絵を描くのは得意ではありませんでしたが
美術の授業で 写生の授業がありました。
得意ではないとは言え それが 評価に繋がりますので
一生懸命風景画を描いたのです
どんなに一生懸命書いても そのそも実力がありませんので
誰が見ても下手くその絵でした。
当然 先生からの評価は 低く 5段階の1しかもらえなかったのです。
当時思ったのは 自分自身一生懸命描いたのにどうせ次も1の評価しか
貰えないだろうと思い
次からの絵は まったく下書きすらせず 何の考えも無しに 提出しさえすれば良いのだろうと言う 半ば諦めの気分で いわば殴り書き 絵具も適当に混ぜ合わせ
投げやり感満載で時間もかけず描いて 残りの時間は適当に遊んでいたのです。
まあ 何をやっても1の評価しかもらえないのだからと思っての行動でした
しかし 意に反して その絵の評価が5で 先生からあり得ない事に
これはよくできた作品ですね と褒められたのです。
なんという事。
全く気持ちも込めずに適当に描いたが絵が5点で
一生懸命下書きから構図まで考えながら描いた絵が1点とは
一体どういうことなのか?
と思ってしまったのです。
この時に芸術を評価することは非常に難しいのだなと感じた事を
思い出します。
この場合は 新しい作風を自ら考えて描いたわけではないので
やったー!なんて言う気持ちはあるわけがないのですか
昨日まで書いた フランスにおける 写実派が評価されていた時代に
あえて それを打ち破るような作風で挑戦するのは
勇気がいったでしょうし 評価されるのも後年になってからという事に
なるのです。
常に新しい事に挑戦するときは 奇人変人扱いを受けることになるのです
日本においても 江戸時代は日本画がもちろん主流でした。
時代は忘れましたが 他しか1700年代に秋田に小田野直武と言う
画家が居たのです。
非常に絵がうまく 秋田藩主から重用されていた人物です。
その秋田に ある日 日本では奇人と言われていた 平賀源内が訪れたのです。
その時 城かどこかに飾ってあった屏風画を見て感銘を受け その作者である
小田野直武と面談することになったのです。
小田野直武が画家としての才能があることが分かった平賀源内は
お盆の上にある重ね餅を真上から見て描いてみなさいと言うのです。
丸いお盆の上に丸い重ね餅を書くわけですから
当時の画法で書こうとすると 単なる三十丸になってしまうのです。
これでは絵としては面白くないですね
その時に平賀源内が 陰影をつける方法を教えたのです
そうすると どうでしょう その絵が立体的な絵となったのです。
これに感銘を受けた 小田野直武が 秋田蘭画の産みの親となるのです。
もし この時二人が出会っていなければ その後の日本での絵画は
どうなっていたのでしょうか?
このあと
二人は 江戸に戻り 誰もが必ず見たことがある
ある重要な絵を描くことになるのです
その絵とは??
明日に続く、、。