EXECUTIVE BLOG
2021.2.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日までは
時代の変革者には奇人が多いと言う話から
フランスから日本まで話は飛んで
平賀源内 小田野直武 司馬江漢 の話になりました。
他にも江戸時代には 奇人と呼ばれた人が多数いたようです。
私たちは 世界で最初の動力飛行機は ライト兄弟と習ったと思うのですが
実は それより100年ほど前に 日本で空を飛んだ人が居ると言うのです
その人の名前は
浮田幸吉と言う人です。
彼は、備前国児島郡八浜の宿屋の息子として生まれ、幼くして父を亡くすも、
生来の手先の器用さを活かし表具師として生計を立てることになったのです。
この幸吉が
ある日、空を飛ぶ鳥を見て
「人間だって鳥のように空を飛べるのではないか……」という思いを描き、
力学の書籍などない時代にも関わらず、なんと参考にしたのは、
本物の鳥だったのです。
鳥を生け捕りにしては翼と胴体との比率を測ったり、
鳥の飛び方を毎日熱心に観察したのでした。
この苦労は計り知れませんが 空を飛びたいと言う熱意が勝ったのでしょう
ついに幸吉は試作に試作を重ねた挙句、
現在のグライダーのような翼を完成させることに成功したのです。
そして
1785年の夏のある日。
岡山を流れる旭川に架かる京橋の欄干に全長9mのグライダーを装備した幸吉は、
橋の下から吹き上げる絶好の風を待って タイミングを計り欄干を蹴った幸吉は、
ふわりと空中に舞い上がる事に成功したのです。
風に乗った機体は数十m滑空、河原でなにも知らず夕涼みをしていた人々の頭上をくるりと旋回しました。
この時浮田幸吉は日本で初めて空を飛ぶことに成功した人物で。
ライト兄弟の動力飛行などより100年以上も早い快挙となったのです。
ただし、この快挙は時代が早すぎました。
江戸時代、人が飛ぶなどとは想像もできない時代です。
目撃した人々は、
「天狗が飛んできた」「鳥みたいな人が空から降りてきた」
など大騒ぎになり、結局幸吉は騒乱の罪で捕らえられ岡山を追われてしまう事になるのです。
その後 何度か改良したグライダーで空を飛んだと伝わっていますが
最期は、空を飛んで世を騒がせた罪により死罪になったとも伝えられているのです。
いつの世も奇人はあまりいい目には合ってませんね
しかし 彼らの努力があってこそ科学は進化してるのも間違いないと思います。
大きな夢を抱いてそれに向かって熱心に立ち向かう事は
いつの時代でも必要な事だと思います。
常識に囚われず柔軟な考えを持つことが必要なんでしょう
こういう事から 私は学んだわけではないのですが
ITも全く分からない時に 数々の発明を行い
それで 麻布十番のジャーナリストとの出会いに繋がることになるのです
ここで 昨年からの 続きにそろそろ戻らなければならないかと思います
明日は
一体何の続きだったのか?
そこからの展開は???
に
続くかも、、、。