EXECUTIVE BLOG
2021.8.9
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 天皇のご聖断が出て 終戦が決定的になったと言う話でした。
しかし 陸軍はこの事を不服とする者が多くいました。
そこで 最後の手段を思いつくのです。
それは陸軍大臣を辞職させる事でした。
御前会議は憲法上の正式機関ではなく
単に天皇の前で政府と統帥部の連合会議が行われ 天皇の意思の発表があったにすぎず
法制上の建前としては 閣議で満場一致でこれを決定しない限り国家意思とはならないからなのです。
なんとか 最後の閣議において陸軍大事には署名しないでくれと嘆願するのでした。
しかし 阿南陸軍大臣は 辞職もせず大御心に従う決心をして それを幹部に伝えたのです。
それを 聞いた将校は
「大臣の決心変更の理由をお伺いしたい!」 となおも詰め寄ったのです。
その質問に対して阿南陸軍大臣は
「陛下はこの阿南に対し、お前の気持ちはよくわかる、苦しかろうが我慢してくれと涙を流して仰せられた 自分としてはこれ以上反対を申し上げる事は出来ない」
と明確に答えたのでした。
そして
「聖断は下ったのである 今はそれに従うばかりである 不服の者は この阿南の屍を越えてゆけ!」
とまで 言われたのです。
阿南大臣は クーデーターを今なお画策している一部若手将校の暴発を抑えるべき発言をしたのでした。
この時 一人の将校が慟哭し彼の声が大臣室に響き渡ったのです。
彼は顔を伏せたまま拭おうともせず涙を流していたのです。
この青年将校が 後に宮城事件を起こす 畑中健司少佐だったのです。
涙を流す姿は この大臣室だけではなく
永田町の首相官邸地下の広間でも見受けられました。
下村情報局総裁が 御前会議での経緯を記者団に対し、
その時の天皇の様子を次の様に語っていたのです。
「自分はいかようになろうとも万民の命を助けたい この上戦争を続けていては結局
我が国が焦土となり万民をこれ以上苦悩なめさせる事は 自分としては実に忍び難い、、、
と陛下が仰せられた時は 閣僚の誰一人して泣かないものはなかった」
記者たちは 自分がどうなろうとも国民を戦火から守りたいと言った天皇陛下の心を知り
彼らも又涙してしまい 記者会見どころではなくなってしまっていたのです。
この天皇陛下のお気持ちは 広く軍部にも伝わるのでしたが
それでも陸軍内部には 近衛師団を中心として蹶起して 終戦をさせないと言う動きがあったのです。
しかし
陸軍大臣 陸軍参謀総長をはじめ
東部軍と やがて事件の中心となる 近衛師団師団長森中将は 「承詔必謹」
を確認し合ってご聖断に従う事が軍令であるとしたのです。
このように 軍部内では 少数の強硬派がいるものの
「承詔必謹」は 軍の命令であることが伝わっていくのです。
次は これを
広く国民に知らさなければならいのです。
国民の中にも 徹底抗戦を叫ぶ者が多数居ました
例え負けたとしても その後の占領軍に対してゲリラ戦を挑む可能性があるのです。
全国民に 天皇陛下のお気持ちを直接お伝えする事で 終戦を受け入れさせる
必要があったのです。
これを どのような内容で どのような手段をもって知らせるかの
会議が
8月14日の午後一時からの閣議で話し合われることになったのです。
この話の内容とは?
この時 一部強硬派は何を画策していたのか??
それは
明日に続く、、。
8月9日は 長崎原爆投下の日です
心から被害に遭われた方のご冥福をお祈りしましょう。