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社長&顧問ブログ

2021.8.8

陸軍省に不穏な動き

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 終戦決定までの 軍部 政府 天皇陛下の それぞれの立場での

話でした。

 

戦争を開始するまでは一気に話が進んだのですが

終戦の決定は なかなか結論が出ずに 最終的に天皇陛下のご聖断をもって

結論にするという ウルトラCの手を 鈴木首相が考えたのでした。

 

天皇制の時代は なんでもかんでも 天皇が決めて命令が出来ると思われている方が

多いようですが 幾ら天皇制とは言え 当時の大日本帝国憲法他 法令に則られなければ

正式の手続きとはならないのです。

 

八月十四日の最後のご聖断をもって 最終結論とすることで 最高戦争指導会議も内閣もポツダム宣言受諾を同意した上で 最後の 手続きである 各大臣による 署名と押印の作業に入るのでした

ここで 全閣僚が署名と押印をしなければ有効な決定とはならないのです。

 

それを 知っている 陸軍省の幕僚は 阿南陸軍大臣に辞任を要求するのでした

陸軍大臣が辞任となれば 閣議で全員の署名が出来ない事になり

幾らご聖断が出たとは言え 効力を発行することが出来ないのです。

 

仮に 阿南陸軍大臣が辞任した場合 陸軍は それに代わる大臣として

徹底抗戦を貫きポツダム宣言を絶対に受け入れないとする人物を

陸軍大臣に送り込み これにより 終戦への道を閉ざす事が出来るのです。

 

しかし この事を予測していた 阿南陸軍大臣は 絶対に辞職はせず しかし

日本陸軍が名誉ある撤退をすることを考えていたのでした。

 

そもそも 日本軍は明治維新以降 局地戦での負けはあったとしても

日清 日露戦争で 勝利して 降伏という事を知らなかったのです。

 

しかも 軍隊は 天皇の軍隊であると信じて戦ってきた軍人で成り立っていますから

皇国日本が負けるはずがないし 最後には神風が吹くと信じていたのです。

 

明治維新は

関ヶ原の戦いでコテンパにやられた 長州藩と薩摩藩が中心となり

天皇陛下を担ぎだして 錦の御旗をもって 約300年続いた徳川幕府を倒したのです。

徳川は幾ら鎖国をしていたとは言え 300年も体制を維持してきたのです。

そこには 戦わずして勝つこと 交渉力というものが備わっていました。

力が足りないと思うと知恵を出していました。

 

一方、明治維新を成功させた長州と薩摩は まだ 日清 日露戦争の頃は

色んな知恵をだし 交渉によって戦争を上手く終わらせていたりましたが

昭和に入ってからの軍隊は 精神論ばかりで、

神の国は負けるわけがないの一点張りで

最後は 竹やりでB29を撃墜しろとか  武器が無ければ気合で勝て

みたいな事ばかり国民に押し付けていたのでした。

 

どこから 道を間違えたのかと言う議論がよくされています。

 

戦争映画を見ますと 天皇陛下万歳と言って突撃させたり いみじくも陛下の部下であるわれわれが とか  天皇陛下の名前を出せば なんでも命令できるという仕組みを

作り上げたのが軍部そのものだったのです。

 

これでは冷静な判断も出来るわけがありません

 

それなのに 最後だけ 天皇に責任を押し付けて 自分たちが敗戦の言い出しっぺではない事を貫こうとしたのではと思います。

 

 

日本の軍隊の仕組みついては又時期をみて アップしたいと思いますが

 

今回は とにかく天皇陛下のご聖断をもってポツダム宣言を受諾することになったのです。

 

そして

国民にはこの事をどのようにして伝えるのか?

その内容をどういう文言にするのか?

軍部はこの決定を本当に受け入れ武装解除に応じるのか??

 

昭和20年 八月十四日に 終戦への道はきまりましたが

我々が知っている 終戦の日の八月十五日正午までのたった一日に

物凄い出来事が起きるのです。

 

戦後76年も経つと この話を知っている方も減ってしまっていますが

 

たった一日の事を語るのには数日かかるのではと思います

 

その 内容とは???

 

それは

 

明日に続く、、、。

 

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