EXECUTIVE BLOG
2022.1.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
いつから話が逸れてしまっているか分からなくなっていますが
いつの間にか 行ってみたい場所として
スターリングラード ノルマンディ ワーテルローがあると言う話になり
昨日までは スターリングラードの話でした
いずれも 歴史的転換期のおいて重要な意味を持った場所なので
そこがどんな所なのか? を 見てみたいと言う興味があるので
行って 現場を確認したいのです。
たぶん 訪れたとしても そこは 楽しくもない場所なのでしょうが
昔の武将や兵士たちがどのような思いで 戦っていたのかを考えてみたいのです。
それ言うのであれば 国内では 関ヶ原がそうでしょうし 戊辰戦争の鳥羽伏見
や 函館も歴史的な意味がある場所ですが
こちらは いつでも行けると言う気やすさから 今すぐ何が何でもと言う気持ちには
なりませんね、 探せばまだまだ一杯出てきますので それは徐々にと言うことで
今回は ワーテルローの話になります。
と言っても ワーテルローで フランスの英雄 ナポレオンが 敗れて その後
島流しにあってしまうのです。 それまで英雄と言われたナポレオンが そのワーテルローで負けたのですから その場所で 彼は 一体どのように思っていたのか? を
考えたいだけなのです。
この戦いがどのような意味を持っていて その後どのような影響を与えたのか??
を考えなければなりませんが
その前に 殆どの人は ナポレオンと言う名前は知っていますね
しかし 何故彼が 英雄になったのか? までを 知っている方は少ないのではと思います
私も ナポレオンと言う名前くらいしか知りませんでしたし 高級ウィスキーにナポレオンがついているのを お酒を飲み始めた事で知ったようなものです。
又 ベートーベンが英雄と言う 曲を作ったくらいは知っていました。
が
何故 ベートーベンは この曲を作ったのか??にも興味が湧きますね
この曲は
フランス革命後の世界情勢の中、
ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、
ナポレオンを讃える曲として作曲されたといわれています。
しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位してしまうのです、
その知らせに激怒したベートーヴェンは
「奴も俗物に過ぎなかったか」
とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話があります。
これを見ても ナポレオンに興味を持ったのですが
学校で習う世界史では 年表中心になってしまい その歴史的背景は
なかなか学べていなかったと 反省をしてしまいます。
という事で
何故 ナポレオンは歴史上に現れたのか?
そして どのように消えて行ったのか????
その歴史的展開点のワーテルローの戦いの意味とは?????
については
またまた
明日に続く、、、。