EXECUTIVE BLOG
2022.4.21
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは マリリンモンローやロバートケネディの検視を行った
日本人、トーマス野口さんの話でした。
彼は 非常に努力家で 医学で法律も解決すると言う 法医学の
権威になるためにアメリカに渡り 成功された方です。
今なおご健在だそうです、
この方 貧乏学生の頃は 部屋に電灯が無い時は、 外に出て
外灯の下で本を読み 必死で勉強したそうです。
自分の夢を実現するために 必死で勉強したのですね。
今の時代 モノに溢れていますし あれがないから勉強できないとか
これが無いから勉強できないとか 先に言い訳をする風潮があるように
思えますが、
しっかり目標を持って そこに向かって努力で来てるかと 私も反省している所です。
昔の成功者は このように努力をしてた方が多いなと思っていた矢先
街を歩いてる時に ある小学校の前で 忘れかけていた 有名な銅像が
目に留まったのです。
それは 日本人ならだれでも知っている 二宮金次郎の 銅像だったのです。
銅像の事を調べている時に分かったのですが
日本で一番多いか多かったのかは 定かではありませんが
この 二宮金次郎の銅像だという事でした。
我々の時代には 小学校の入り口に 二宮金次郎の銅像が置かれている学校が
多かった気がします。
6年間毎日見ていたにも関わらず ロクに勉強もしていませんでしたが
改めて よく考えてみますと
二宮金次郎と言う人物は 一体何をした人なんだろう? とご存知の方は少ないのです。
有名な軍人になったわけでもないですし 総理大臣になったわけでもないようです。
あれだけ 毎日勉強していたかのような姿をしてて 大物でもなく英雄にでも
なってないならば
逆に勉強なんか必要ないとの象徴になってしまうのではと思ってしまいます。
では この二宮金次郎とはいつの時代の人で 何をしたかの話になりますが、
二宮金次郎は江戸時代小田原近くの村の農民の子として生まれた人なのです。
幼い頃から一生懸命働いていたのですが、勉強が大好きで無駄をせずに勉強に励んだそうです。
文字を学ぶために箱に砂を入れ、棒で書いては消すを繰り返したそうです。
お米をお金に変えて、土地を買うことを繰り返し、23歳の若さで土地持ちになったとも言われています。
大飢饉で困っていた関東や東北の多くの農村や藩のために働き、多くの人を救った事から名を残した方だったのです。
では その銅像が小学校にあるのか?という事ですが
小学校にある二宮金次郎の銅像と言えば、薪を背負いながら読書をする姿が有名ですよね
貧しいながらも、働き学び、世のため人のために貢献するまでの人物になった二宮金次郎です。
1904年以降になると、修身の国定教科書にたびたびこの二宮金次郎が模範的な少年として、数多く登場するようになったのですが、
何故多く登場するようになったのか?????
それは誰の意見で????
また あれだけあった 二宮金次郎の銅像を
最近見かけなくなった気がします。
実際多くが撤去されているというのです、、、、
あれだけ勤勉な人の銅像を何故撤去しなければならないのか????
そこには
あっと驚く訳があったのです、、、、、
これらの疑問は?????
明日に続く、、、、、、。