EXECUTIVE BLOG
2022.5.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 三代将軍家光の腹違いの弟で
初代会津藩藩主とる 保科正之の話でした。
今日は 彼が残した家訓でより 会津藩が長州藩から目の敵にされると言う
話で その家訓の中身は? と言う話に進まなければなりませんが
保科正之の逸話で思い出したことがあるので
今日は その話に進みます
その逸話の中から、真面目な性格が伺える話です。
ある日正之は兄の将軍・家光から江戸城に近い将軍家の遊猟地で鷹狩りを行うことを許されました。
鷹狩りを楽しんだ正之は、獲れた獲物を家光に献上するために江戸城を訪れます。
そしてその時に獲れた雁がん二羽を家光に献上すると、
同席していた老中・酒井忠勝が
「遊猟地は鳥が多いから、たくさん獲物が獲れたでしょう。」
と聞いたのです。
すると
保科正之
獲れたのは献上した二羽だけでした。
と正之は答えたのです。
家光が退席した後酒井忠勝は
「おかげさまでたくさん獲れたから一部を持ってきた。とでも言えば良かったのに、
正直に言いすぎではないか?」
と正之に言ったのですが
正之はその言葉にこう答えたと言います。
「将軍に嘘をつく事はどんなことでもあってはならないと思い正直な数を言った。」
と言うのです
この言葉を聞いた酒井忠勝は、正之の実直さに感動したと言われています。
この言葉からも 正之の馬鹿正直で馬鹿真面目さがうかがえますね。
他にもこんな逸話が残っています。
保科正之が自分の異母弟だと知った家光は、正之の行動を観察してみたのです。
将軍の弟だと言うことで実の弟の忠長の様に
傍若無人に振舞うようでは支障が出ると思ったのでしょう。
実際忠長は100万石か大坂が欲しいと要求し、蟄居ちっきょを命じられています。
正之も忠長と同じようになってしまうのではないかと思い観察したのです。
しかしあくまでも正之はいたって控えめな人物でした。
ある時家康の17回忌に日光までのお供に敢えて正之を指名してみたのです。
この時は人も少ないことから、
隙を見て「自分は将軍の弟だ」と自分の素性を明かしてくるだろうと思って観察していたそうです。
しかし、正之は一向に素性を打ち明ける様子はなく、
ただ末席に大人しく控えているだけだったそうです。
この時に家光は正之の欲のない奥ゆかしさに感服したと言われています。
「徳川の天下を支える人物になる」と正之の器量を見抜いたのです。
そんな事もあり
正之を幕府の重鎮として迎える事にしたのです。
そして 先日も書きましたが 江戸が大火事に見舞われて 天守閣が焼け落ちた時に
老中として正しい判断を下す事になるのですが
どのような判断を下したのか???
それは????
明日に続く、、、、、。