EXECUTIVE BLOG
2022.5.9
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 保科正之の話で 彼がいかに人物的に優れていたかと言う話でした。
その中でも 江戸が大火事に見舞われた時に 江戸城も天守閣が燃えおちました。
その時 天守閣再建の話が出た時にそれにお金を費やすより 民の為に使えと指示した
話は有名です。
で 今日は 彼が残した家訓の話に進まなければなりませんでしたが
またまた 話が逸れて 江戸の大火の話になります。
保科正之の時の明暦の大火は、
明和の大火・文化の大火とともに江戸三大大火と呼ばれています。
明暦の大火における被害は延焼面積・死者ともに江戸時代最大であることから、
江戸三大大火の筆頭としても挙げられているのです。
外堀以内のほぼ全域、天守を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、
死者数については諸説あるのですが約10万人とも言われています。
この火事は関東大震災・東京大空襲などの戦禍・震災を除くと日本史上最大の火災であり、ローマ大火・ロンドン大火・明暦の大火を世界三大大火とも言われているくらいの
大火事だったのです。
この明暦の大火が別名 振袖火事と呼ばれているのです。
何故振袖火事と呼ばれているかと言いますと、
江戸に住む17歳の少女は、偶然見かけた少年に一目惚れしてしまいました。
一日中、何をしていてもその少年のことが頭を離れません。
彼が着ていた服と同じ模様の振袖を仕立ててもらい、彼を想って日々過ごしていました。しかし、恋の病だったのでしょうか、若くして亡くなってしまうのです。
それで
少女の両親は憐れんで、娘の棺に想いがいっぱいの振袖を着せてやりました。
その当時に供養のために棺にかけられた衣類は、棺が持ち込まれた寺の働き手たちが貰って良いとされていました。
そしてその振袖は男たちによって売られ、別の17歳の少女の手に渡ってしまうのです。
ところがこの少女も、振袖を手にしてからしばらくして亡くなってしまうのです。
振袖は再び棺にかけられて同じ寺に持ち込まれました。
寺の働き手たちはもちろん驚きます。
しかし、またその振袖を売りに出し、またしても別の17歳の少女の手に渡りました。
この少女も間もなく亡くなってしまい、例の振袖は棺にかけられて三度目、同じ寺に運び込まれてきたのでした。
この事で
さすがに寺の働き手たちも気味が悪くなり、住職に相談することにしたのです。
順番に亡くなった娘たちの親も呼び出され、この振袖を寺で供養することになったのです。住職がお経を唱えながら振袖を火の中に投げ入れました。
しかし、そこで強い風が吹いてしまったのです。
振袖は火がついたまま空に舞い上がり、本堂の屋根に着地。火は屋根に燃え移り、
消す暇もなく次々と延焼します。
火の勢いは止まらず類焼に次ぐ類焼を重ね、
翌日には何と江戸市街の55%を焼失してしまいました。
この火事で亡くなった人は10万人以上と言われ、
そしてこれが「振袖火事」と呼ばれるようになったのです。
世界三大火事の原因が失恋話に纏わる話だったとは 何とも言えませんが
実はこの話には 裏があったのです
当時の市民は 振袖が燃えた事からの火事だったと思っていたのですが
実は そこには 恐ろしい陰謀があったことを町民たちは知りませんでした
この恐ろしい陰謀とは??????
それは????
明日に続く、、、、、。