EXECUTIVE BLOG
2022.7.21
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
散歩で見つけた 首塚から 日本三大怨霊の話になってしまいました。
普段何気なく歩いている所も 注意してみてみると面白い発見があるものです
散歩隙の方は これが醍醐味なのかもしれませんね、
それで 三大怨霊も 色々な恨みから 呪いがあったと言われていますが
いつの間にか 怨霊が神様になるのですから 不思議ですね。
神様に祭り上げる権限は誰が持っているのか?にも興味湧きます。
心霊スポットとして 有名な 福岡にある 犬鳴トンネルは かつて
不良仲間の争いで 若者が殺された事があり それから ここは 霊が出るとの
噂が出て 今では 肝試しのスポットになっていますが
これなんかも 考え方変えて 殺された元不良が 不良を改善させる神になったと
すれば良いでは なんて思ってしまいます。
要するに考え方ひとつで 変わると思うのです。
で 今日からは 三大怨霊と言われた 菅原道真 平将門 崇徳院の話に
進みます。
先ず菅原道真です。
幼いころから聡明で詩歌の才能もり中流の公家出身でありながらも、
当時の宇多天皇に重用され、出世していきます。
彼の政治的貢献としては894年遣唐使の廃止が有名ですね。
その後の醍醐天皇の頃にはついに右大臣にまで上り詰めた人物です。
ところが、家柄がものをいう時代でしたから、
中流ながら才覚をもって出世する道真を良く思わない人々の讒言により、
「醍醐天皇を廃位する企みをしている」という無実の罪をきせられ、
九州大宰府へと左遷させられてしまいます。
そして
家族とも離され、失意のうちに太宰府で道真が没した後、
次々と都で異変がおきるのです。
まず
道真を左遷させた藤原時平が急死し、さらに醍醐天皇の皇子が次々に病死した上に
清涼殿や隣の紫宸殿が落雷の被害にあい政府要人に多くの死傷者が出たのです。
これを道真の祟りと恐れた朝廷は、
亡くなった道真の位を右大臣に戻すだけでなく、
死後にもかかわらずその後左大臣、太政大臣へと出世させ、その怒りを抑えようとしたのでした。
余程 祟りが恐ろしいと感じたのでしょうね
しかし ここで 不思議なのは
何故 そこで神様にしてしまったのか??と言う事です。
古くからの日本の信仰では
疫病や天災等は「怨霊」により引き起こされると考えらており
これを鎮めるべく、御霊として祀り、国の平穏と繁栄を祈ると言う
「御霊信仰」というものがあるのです。
それで 怨霊だった菅原道真を 神様にしたのでしょうね、
ここでも 色々な興味が湧いてきます
古代から 奈良 平安になる過程で 中流や 上流とは どのようにして決められて行ったのか?
とか
そもそも御霊信仰とは なにか????
等です。
今まで 考えても無かった事に対して次々に興味が湧いてしまいます
で
明日は 平将門から崇徳天皇の話へ進めるのか????
それとも、、、、
それは
明日に続く、、、、、。