EXECUTIVE BLOG
2022.11.11
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 江戸時代の 奉行と火つけ盗賊改め方の話でした。
町奉行と言えば 大岡越前や 遠山の金さんでおなじみで
火つけ盗賊改めは 鬼平こと長谷川平蔵のイメージが強いですね。
今日は 火つけ盗賊改め方の長官 鬼平こと長谷川平蔵は実在の人物か?
彼は なにをしたのか??? の話になります。
長谷川平蔵がどんな人物か名前でピンと来なくても、「鬼平」には聞き覚えがあるのでと
思います。
長谷川平蔵は『鬼平犯科帳』の主人公「鬼の平蔵」として小説やマンガ、
そしてテレビの時代劇で人気のキャラクターですが、実在の人物だったのです。
色々脚色はされているでしょうが
本物の平蔵とはどんな人だったのでしょうか??。
「鬼の平蔵」「鬼平」として現代でも知られますが、平蔵は通称なのです。
本名は長谷川宣以(はせがわのぶため)です。
400石の旗本の長男として誕生した平蔵は、幼名が「鐵三郎」と呼ばれていたそうで
青年時代はかなりの放蕩者で、遊郭で遊び回り、衣装道楽もあった素行不良の人物だったようで
小説や 漫画の中では 彼を知る古い友人たちは 平蔵の事を 「本所の鐵」と呼んでいたようです。
父親が京都の西町奉行となって京都に移り住み、1773年にその父が亡くなると、
平蔵は江戸へ戻り、その際、残された父の部下である与力や同心たちに、
「私は江戸で英傑と言われるようになる」と豪語した記録が残っているそうです。
家督を継いだ平蔵は、江戸で小普請こぶしん組に加わり、
のち将軍の世継ぎであった徳川家斉いえなりの警護役を務めます。
そして西の丸御書院番などを経て、番方最高位である御先手組弓頭にまで出世したのです。
43歳の時に、火付盗賊改役という強盗などの取り締まり役として抜擢され
松平定信が実施する寛政の改革の一環として、人足寄場という犯罪者の更生施設の建設を立案するなど功績を挙げています。
犯罪の根源を減らす努力を怠らず、
江戸市民が怯える凶悪犯罪の撲滅にも尽力しており
当時、江戸周辺を荒らし回っていた盗賊グループ・神道徳次郎とその一味や、
江戸市中での強盗と婦女暴行で悪名を馳せていた凶悪盗賊団のトップ・葵小僧を捕縛することに成功し
彼ら一味を斬首ののち獄門に処しています。
この盗賊 神道徳次郎は別名「神稲小僧しんとうこぞう」とも呼ばれた盗賊で、
神道流の剣の遣い手で、数十人で構成された盗賊団を率いる頭でした。
なかなか知恵も回る男だったようで
「御用」と書かれた提灯を下げて家の者を油断させて押し込み強盗をしたり、
まるで幕府の役人であるかのような偽装をして関所などを突破したりするなど、
関東一円を自由に荒らし回った大盗賊だったのです。
声をたてる者を皆殺しにするなど、残酷なこの盗賊一味でしたが、
平蔵が捕縛し、引き回しの上獄門に処しました。
この事で
庶民は平蔵に喝采し、彼はこの捕り物で一躍名を上げる事になったのです。
また、盗賊 葵小僧は小説や漫画にも登場するこの盗賊は実在していました。
将軍家の家紋・葵の御紋をつけた提灯を掲げて江戸中を荒らすため
「葵小僧」と呼ばれた押し込み強盗でした。
あろうことか
押し込みの際に必ず婦女を強姦したという最凶悪犯だったのです。
庶民を震え上がらせたこの盗賊も
平蔵によって捕縛され、躊躇なく10日後には獄門にかけられたのでした。
平蔵は、とても腕の立つ役人でしたが、老中松平定信は実力を認めながらも心底から彼のことを信頼してはいなかったようです。
その為出世が停滞気味となったそうです。
しかし、
江戸市民たちにとって長谷川平蔵は、庶民に代わって悪者を懲らしめるヒーローのような存在で、 令和の今の時代でも彼の名前はしっかり残っているのです。
平蔵はこのように悪を懲らしめるだけの人物のように見えますが
一方 人情味あふれる人物でもあったのです
それは 後に彼が残した業績からも分かります
その業績とは?????
それは?????
明日に続く、、、、、、、。