EXECUTIVE BLOG
2023.1.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 正月名物 箱根駅伝の話になりました。
しかし 箱根駅伝が アメリカ横断駅伝の予選会として始まったというのには
興味を惹かれますね
残念ながら アメリカ横断駅伝は実現してませんが
本当に実現していたら ロッキー山脈越えは見ごたえあるでしょうし
そもそも 完走できるのか??? と思ってしまいます。
箱根駅伝も 男女混合チームにしたら面白いとおもいますし
地方創生で 地元の中学生も参加させ 彼らは 体力的にも問題があるでしょうから
100メートルごとにタスキリレーすれば 全力で走っても体には無理が来ないと思いますし もしかしたら 100メートル全力疾走の中学生が勝ったりしたら面白いのですが
そんなのは 競技ではないと一蹴されそうです。
しかし このようにあれこれ考えて行くうちに 良いアイデアが出て来ると思うので
なにもかも否定から始めるべきではないと いつも思っています。
さて それで今日の話は 駅伝はタスキをリレーして走るのはわかりますが
それならば 襷リレー大会とすれば良いのですが
何故 駅伝と呼ぶのでしょうか? そもそも駅伝ってなに??? を
ご存知方少ないかと思います。
駅伝の正式名称は、『駅伝競走』と言うのです。
ご承知の通り駅伝とは、数人のチームによって長距離をリレー形式で走り、
そのタイムを競う、陸上競技のひとつですね、、。
駅伝というシステムの着想は、
古代の「駅伝制」からヒントを得たそうです。
この駅伝制とは、道路沿いに約16kmほどの間隔で、中継所として施設をおき、
そこに馬をおいて乗り換え、手紙や荷物などを、
郵便のようにリレー形式で受け渡していくシステムだったのです。
今のようにメールも電話もなかった時代でしたが、この駅伝制によって、
人や物が盛んに往来し、長距離でも情報が速やかに伝えられていたのですから
昔の人の知恵はたいしたものです。
この制度は日本が産み出したのかと言うとそうではないようで
世界史上、広大な地域を支配する中央集権国家が成立すると、
支配維持のために中央と地方とを常時かつ迅速に連絡する手段が必要となり、
広域通信の仕組みである駅伝制が不可欠だったことから生みだされたシステムだったのです。
歴史上、多くの国で整備されて古代中国、モンゴル帝国、古代オリエントで発達したそうです。
この制度が発達してきて鎌倉時代になると、飛脚が登場してきます。
飛脚とは、お金や手紙は荷物を運ぶ仕事をする人ですね。
飛脚の仕事は驚くことに、草鞋を履き、舗装されていないトレッキングコースの東京〜大阪間を、3〜4日で走ったと言われています。
通常ですと2週間くらいかかっていたのですから 当時としては凄く早いシステムです。
これはもちろん、ひとりで走ったわけではありません。
仲間がいる宿場という場所まで、10kmほどの距離を、交代して走っていました。
駅伝制の、馬なし、といったところです。
これらの、駅伝制・飛脚が、現在の『駅伝』のルーツになったといわれています。
そして 現代の駅伝は 襷をリレーしますが 何故バトンではないのか??とか
いろいろ 興味が湧いてきます。
そしてもっと興味があることがあるのです、、。
それは?????
明日に続く、、、、。