EXECUTIVE BLOG
2023.3.19
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
日本酒の話から お米の話になり
そのお米も 昭和53年までは 米穀通帳が無いと買えないと言う話でした。
そして戦後は食糧難で お米がなかなか手に入らなかったので
当時の 池田勇人大臣が
「貧乏人は麦を食え」 と発言したことが 新聞に大きく取り上げられました。
この池田勇人大臣はその後 総理大臣にまで上り詰め
所得倍増計画を打ち出した方です。
この池田勇人の発言がは 切り取られた形で「貧乏人は麦を食え」とされてしまい、
野党や国民から反発を受けてしまったのでした。
元々の池田勇人の国会での発言は、
「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。」
といったものだったようです。
この「貧乏人は麦を食え」は、
1950年12月の参議院予算委員会での池田が大蔵大臣の時の発言です。
1945年8月が終戦なので、戦後間もない時代の話なんですね。
当時、米の値段が上がっていることに対しての答弁だったようです。
戦時中から米麦等の食料は不足しており、
終戦後は不作も加わり大変な飢餓が生じ、
当時、食糧流通は統制されていました。
農家は安い価格で農産物を政府に売り、
政府は貧しい人も買えるように安い価格で消費者に均等に売っていたのです。
裕福な者でも決められた量以上を購入することができない
「配給制」だったのです。
当時、米は高級財で、麦が劣等財でした。市場経済であれば、裕福な人は米、
貧しい人は麦を食べるということになります。
池田勇人の発言の趣旨は、
大蔵大臣として費用がかかっている統制は廃止して、
自由な市場経済に移行していきたいというものだったのです。
では、なぜ池田勇人は批判されてしまったのか?
の話から
池田勇人はその後何をしていったのか???
は
明日に続く、、、。