EXECUTIVE BLOG
2023.4.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
トルコが親日国だと言う話でした。
トルコでは英雄と言われた 宮崎さんは 亡くなった後
国葬にされ 彼の名前の付いた公園や 銅像も建てられた事からも
親日ぶりが分かります
それは 岩倉具視一行が トルコに訪問したころに遡るようですが
その後 日本である事件が起きた事に起因するようです。
それは
「エルトゥールル号遭難事件」があります。
「エルトゥールル号遭難事件」とはどのような事件だったのか?ですが、、。
エルトゥールル号は、1887年にオスマン帝国から日本に派遣された船で、
600名を超える特使が乗っていました。
事件が起こった場所は和歌山県の串本町の沖合です。
日本に近づいていた台風の影響でエルトゥールル号が岩礁に衝突し、
沈没してしまったのです。
それはエルトゥールル号が日本での責務を終え、帰路につくタイミングでの事故だったのです。
この事故によってほとんどの乗員は海へ投げ出され、
500名を超える死亡者と行方不明者が出てしまいました。
このときは嵐でしたが、
和歌山県の串本町の近隣で村民が協力し、自らの命を顧みずに必死で
捜索や救助、介抱を行ったのです。
その結果69名は無事に救助することができたのです。
海岸には大勢の乗組員が打ち上げられました。
その中に紛れた生存者を見つけては、息絶えないよう自らの体温で温める人もいたのです。そして、亡くなってしまった乗員は村民たちによって手厚く葬られ、
生存者には心づくしの介護が続けられました。
この事により
当時のオスマン帝国は、このときの日本人による救助活動に大きな感銘を受けたといわれています。
後日、この事件を聞いた日本政府は生存者を東京に移送し、
医療機関での治療を行う事で全員が快方に向かいました。
そして、最終的には生存者全員を日本政府が故郷まで送り届けているのです。
このエルトゥールル号の残骸は今でも和歌山県串本町沖の海底に沈んでいるそうです。
実は現代に至っても引き上げ作業と調査は続いているのです。
事件が起こった串本町では、犠牲者を弔うために建てられた慰霊碑の前で、
今でも5年ごとに追悼式典を行っています。
そして串本町には、事件の遺品や写真などを展示したトルコ記念館もあります。
この時の日本人の献身的な対応は 今でもトルコの教科書に載っていると言うのですから
感動しますね。
このような事があり
日本との関係は深まったのですが
それが 戦後ある事件が起きた時に
日本のメディアまでが 勘違いし報道したことがありました。
その事件とは????
それは???
明日に続く、、、。