EXECUTIVE BLOG
2023.4.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは トルコの話から
ウォーキングの話になりました。
健康維持のために スポーツジムで ウォーキングマシンで 走ったり
歩いたりしてる人を見ますが
私が 街中をウォーキングする方が楽しいと思っています。
コストもかかりませんし 何より 様々な 建物を見るたびに
大きな芸術館の中にいる気がして楽しいのです
この建物はどんな思いで建てられたのかな? とか
設計者の意図などを 考えながら歩くだけで ウォーキングも楽しく感じるのです。
ウォーキングマシンの上で 黙々と歩くだけではつまらないのではと
思ってしまいます。
そして 何より歩いていると 色々な発見があります
昨日書いた 「疎開道路」 を見つけた時には
戦時中の辛い言葉が道路の名前になっているのには 驚きました。
そして その近くにある 博多冷泉公園で 更に 驚く構築物を発見したのです。
そこに 何かあるのは 公園を通るたびに目には入っていたのですが
近くで良く見た事は無かったのです。
ある日 それが気になって 良く見てみますと
その構築物の台座の文字が目に入りました
そこには 「戦災祈念碑」 と書かれていたのです。
太平洋戦争から80年近く経とうとしている現代 日本が戦争をした事すら
知らない人が増えている気がします
戦争は遠い国の出来事だとしか思っていないのかもしれませんが
現実に この福岡市も戦争末期に米軍による攻撃を受け
焼け野原になったのです。
それは 昭和20年6月19日の出来事だったのです。
午後11時すぎ、福岡市上空に米軍のB29爆撃機221機が飛来して
福岡市の博多部や博多港沿いの都心部を中心に焼夷弾を投下し、
市街地は広範囲にわたって炎上したのです。
空襲は20日未明まで続き、少なくとも2千人以上が死傷して
1万4千戸超が焼失したそうです。
当時の日本軍の高射砲では B29には届かず 殆ど無防備の状態で
博多の中心部は焼き尽くされたのでした。
今であれば 民間人を狙ったテロ攻撃と言われるような攻撃だとおもいます。
この時 被災したした方の為に 出来たのが
今では 平和な公園の中にある 戦災祈念碑なのです。
この事を 当時の方に聞いて見たところ
さらに 恐ろしい事を聞かされました
その内容とは?????
それは
明日に続く、、、。