EXECUTIVE BLOG
2023.7.19
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 何にでも興味を持つことから
有楽町で見つけたあるモノの話になりました。
その前に そもそも 有楽町と言う地名についてご存知ない方も
多いのではと思います。
改めて有楽町の字面を追ってみると、人であれば「名は体を表す」とでも言いたくなるほど街の特徴をよく表した地名だと思います。
この名前の由来について、千代田区のホームページでは次のように説明されています。
「『有楽町』の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎に由来します」
と言う事です
有楽町は 織田信長の弟の名前からきていると言う事なのです。
では織田有楽斎とは、どんな人物なのか?と言う事になりますね、、
彼は
織田信長の父・信秀の十一男で、信長とは歳が13歳離れていました。
信長勢の旗下として、甲州征伐でも活躍しているのです。
それが
本能寺の変により、一時、岐阜へ逃れるが小牧・長久手の戦いでは徳川勢に加勢してます。
秀吉が天下を統一してからは、摂津国嶋下群味舌の2000石を拝領していますね、
また、このときに長益は、剃髪し、名を有楽斎と名乗るようになったようです。
その後は関ヶ原の戦いでは徳川方につき、奮迅の活躍を見せるなど、武功を上げている人物ですが
そうした武将としての一面を持ちながら、有楽斎として茶道を学び、
利休十哲にも数えられるほどの茶道の名人になって行くのです
では
この彼の名前が何故 東京の有楽町の名前の由来になったのかと言いますと
有楽斎が江戸屋敷を構えたのが、現在の有楽町だったのです。
それで明治時代に入り町名も有楽町となり 現在へ引き継がれていると言う事になります。
知ってしまえばなんだと言う事になるのですが
町名にも色々と意味があるのです。
また 有楽町駅の近くに数寄屋橋と言う所があります
数寄屋橋は1629年に江戸城外堀に架けられた橋で、
「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味するそうで、
数寄屋橋の語源は「有楽斎の茶室」からきているらしいです。
と言う事で
今回は有楽町の話でした
明日は
有楽町駅の中にある アレについてに
続く、、、。