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社長&顧問ブログ

2023.7.20

乃木坂

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 有楽町の地名に関する話でした。

有楽町は 織田信長の弟の織田有楽が その町の由来となっています。

 

このように 地名の多くが人名に由来していることが分かり それを調べて散歩する

楽しみも増えて来るのではと思います。

 

例えば 東京に乃木坂と言う坂があります。

昔の方は 梓みちよの歌の歌詞のなかに 「乃木坂あたりでは~~~」 と言う

フレーズがすぐ出てくると思いますが

今の方は きっと 乃木坂46の方が馴染み深いとおもいます。

 

この 乃木坂は赤坂の隣ですが 面白い事に 赤坂は 坂の名前ではないのです。

ですが 乃木坂はれっきとした 坂の名前です。

 

この乃木とは どこから出て来たのかをご存知の方は 我々世代以上のかたかもしれません

 

この乃木とは 日露戦争の英雄乃木希典大将の事を指します。

 

乃木坂の名は1912年(大正元年)9月、大日本帝国陸軍の重鎮で、学習院院長であった乃木希典大将の殉死を悼み、赤坂区議会が改名を議決したことに由来するとされています。

 

更にその周辺の地域も乃木坂と呼ぶようになり、

1972年10月20日に開業した営団地下鉄千代田線の駅が乃木坂駅と命名されたことにより、地域名として一般化してきたのです。

 

明治時代に 乃木将軍はこの地に住んでいましたが 明治天皇崩御のあと

乃木夫妻は 後追い自刃するのですが

そこに 乃木神社が建立されています。

 

乃木将軍が 日露戦争でどのような活躍をしてのか? そして 明治天皇が崩御のあと

何故 夫婦で自決したのか???

 

は また 別途と言う事で

 

彼が 日露戦争を勝利に導いた将軍の一人である事には間違いないのです。

この時 ロシアの将軍ステッセルと会見を行った場所が水市営と言う場所で

 

ここで ロシア軍が降伏文書にサインをするのですが 乃木大将は

敵の将軍に対して 敬意を表した会見を行ったのです

 

この事を真似て 太平洋戦争時 日本軍がシンガポールを攻略した際の

将軍 山下奉文は これに倣って 同じように敵将に敬意を表す形での 会見を

開いたのですが

これが 後に 山下の「イエスか!!? ノーか??!!」と 傲慢な態度で

接したと いわれて  この事もあり 戦後の復讐裁判によって絞首刑に処せられてしまったのです。

 

乃木大将を祀った 乃木神社は 立派な神社で 乃木坂にありますが

マレーの虎として有名だった英雄 山下奉文の神社はあるのか?を探したことがありましたが

どうも四国の山の中にひっそりと祠のようなものが祀られているらしいことまでは

分かりました それは 誰が建立しどこに在るかは 今のところ私は調査しきれていません。

 

一方の乃木神社は 参拝客も多いですが

毎年 乃木坂46が初詣する神社として 今では人気スポットになっているようです。

 

個人的には 山下奉文の神社も立派な神社にしていただきたいと願っていますが

アメリカを中心とした連合国と戦った将軍ですから それは 占領軍が許さなかったのかもしれません。

 

 

で この乃木坂ですが 乃木大将ゆかりの地名と言う事はわかりまたが

乃木大将以前は なんと呼ばれていたのかにも興味が湧きますね

 

驚いたことに

この坂は、

 

なんと

こんな名前が付けられていたのです

 

その名前とは????

 

明日に続く、、。

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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