EXECUTIVE BLOG
2023.7.28
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 愛宕山で 西郷隆盛と勝海舟が会談して
江戸の町を焼野原にすることなく 江戸城無血開城の方向への話をしたのでは
と言う話でした。
あの時に会談が決裂していれば江戸は焼け野原になり その後の発展が
かなり遅れたのではと思います。
同じ様に 第二次戦争末期のベルリンも ヒトラーの命令に背いて
焦土化作戦を実施しなかったために ドイツの復興も早かったのかもしれません。
今 まさに ロシアとウクライナが戦争を続けていますが
もし プーチンが核ミサイル攻撃を命令した時にどうなるのか?? と
考えるだけでも恐ろしくなります
まともな人がその命令に背くことを願うばかりです、、。
で 江戸無血開城の後は 歴史を見れば分かるように
薩長が中心となった 明治政府が出来あがって行きます。
日本地図を見れば分かるように 西日本の本州の端っこの長州と
九州の外れの薩摩が日本を牛耳る事になるのです。
正直言って 田舎者の成り上がりが天下を急に手にしてしまったのです
徳川幕府は 徳川家康が 徳川家安泰 天下泰平を願って色々な策を練っていましたが
薩長は その力を過信して そのまま太平洋戦争まで突っ走ったのではないかと思いますし 最後は神風頼りになってしまい 多くの若い兵士を無駄死にさせてしまった気がします
では 徳川家が存続していたらどうなっていたか?に興味がわきますが
その話は 又の機会と言う事で またまた 話が逸れます
昨日は 私の仕事の関係先で 東京都の立川と言う所まで出向きました。
普段九州にいますと 立川なんで 東京の中心部からそんなに遠くは無いのでは
と思ってしまいますが
中央線に乗っても 東京駅から小一時間もかかるのです。
福岡の人であれば理解が出来ると思いますが
博多駅から小倉とか
福岡天神からであれば久留米を越える程の距離があります。
意外に遠いのです。
そう考えると 田舎なのかと 思ってしまいますが
それが 何と都会で モノレールの駅もあり モダンな街となっています。
そう思いながら歩いているうちに
何で ここを 立川と言うのだろう??と疑問と言うか興味が湧いてきました
そして 駅前には 何故か あの有名な歌人の歌碑があるのです
何故 ここに あの歌人の歌碑があるのか???? とかに興味が湧いてきました
それで 調べてみますと
ここにも 江戸城無血開城の流れが見えて来るのです
それらの話は
明日に続く、、、。