EXECUTIVE BLOG
2024.4.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 西郷さんネタが続き
今日は彼が残した遺訓の中の 敬天愛人についてです
この言葉は 西郷さんの言葉かと私は思っていましたら
別な方の造語だったのです。
今日は その話に進みますが
その前に
西郷隆盛は 日本中の方がご存知方と思います。
歴史上の人物を さん付で呼ばないと思います
例えば 徳川家康を 徳川さん とか 坂本龍馬を 坂本さんとか
呼びませんね
しかし 鹿児島の方の殆どは 西郷隆盛の事を言う時は 西郷さんと
親しみを持って呼ばれている気がします
まあ これは 私が知る限りですが、、、、
またまた話が逸れて行きそうなので 敬天愛人と言う言葉についてです、、、。
敬天愛人は西郷隆盛の座右の銘なのですが、
実は、明治時代の啓蒙思想家、中村正直の造語なのです。
この方は クリスチャンでした。
なんと、明治に生きた6大教育家のうちの3名は、クリスチャンだったのです、
多くの方がご存知の同志社大学創立者の新島襄と初代文部大臣の森有礼
そして もう一人が敬天愛人の造語を作った 中村正道でした。
中村正道は天保三年、1832年に生まれで西郷の4歳年下でした。
幕府同心の家に生まれ、儒学、蘭学、そして英語を学んだ正直は幕府の儒官となって
34歳の時に渡英しました。
そのイギリスで、正直はキリスト教との出会いがああったのです。
明治元年1868年、正直36歳の時に幕府が瓦解したために、
帰国を余儀なくされ、静岡学問所の教授となります。
このとき、同じ学問所の教授だったのがエドワード・クラーク宣教師で、生涯の友となり
その影響で洗礼を受けることになるのです。
そして
教授時代の38歳の時に、イギリスの牧師で思想家のサミュエル・スマイルズの「自助論」を翻訳しました。
この本はその後「西国立志編」の邦題で出版されて
福沢諭吉の「学問のすすめ」と並ぶ大ベストセラーとなっています。
その本の中で正直は、「敬天愛人」という言葉を使ったのです。
西郷さんがこの本を読んだのかどうかは分かりませんが
敬天愛人の言葉を座右の銘としたのです。
もしかして 西南戦争で敗れていなければ 西郷さんもクリスチャンになっていたかもしれませんね、、
と言う事で
西郷さんの話は これくらいとして
西郷さんんと同じく 英雄と言えばあの人ですね
その話は
明日に続く、、、。