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社長&顧問ブログ

2026.8.28

新皇将門

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

昨日は、東京・大手町で「将門塚」を目にしたことから、

私のいつもの「なぜ?」が始まった話でした。

 

将門は千年以上も前に亡くなった一人の男です。

その人のために、

東京のど真ん中に今も場所が残され、人々が花を供え、手を合わせている。

 

平将門とは、一体どんな人物だったのだろう。

気になり始めると、私は調べずにはいられませんでした。

 

ところが調べてみると、

将門という人物は、簡単に「善人」「悪人」と分けられる人ではありませんでした。

 

むしろ私は、そこに歴史の面白さを感じたのです。

 

平将門は、平安時代中期の武将です。

桓武天皇につながる桓武平氏の一族として生まれたとされています。

 

つまり、最初から朝廷を倒そうとしていた人物ではありません。

 

将門が生きた10世紀前半。

現在の東京や茨城、千葉、埼玉などを含む関東は、

今のような日本の中心ではありませんでした。

 

政治の中心は京都です。

遠く離れた関東では、土地をめぐる争いや一族同士の対立が起こり、

中央の政治だけでは簡単に解決できない問題もありました。

 

将門自身も、やがて一族との争いに巻き込まれていきます。

そして、

その争いは次第に大きくなっていきました。

 

最初は身近な争いだったものが、やがて国を揺るがすほどの戦いになっていったのです。

 

人生とは不思議なものです。

最初から大きなことをしようと思っていなくても、

一つの出来事が次の出来事を呼び、

気がつけば、

自分でも想像していなかった場所に立っていることがあります。

 

将門も、そうだったのかもしれません。

 

やがて将門は関東各地の国府を攻略し、大きな勢力を持つようになります。

そして939年、将門は「新皇」を称したと伝えられています。

 

これは当時としては、極めて重大なことでした。

 

京都には天皇がおられる。

その一方で、関東に「新しい皇」を名乗る人物が現れた。

 

朝廷から見れば、これは明らかな反乱です。

当然、将門は討伐される側になります。

 

そして翌940年。

平貞盛や藤原秀郷らとの戦いに敗れ、将門は命を落としました。

 

その生涯は、あまりにも激しく、そして突然に終わります。

 

歴史の記録だけを追えば、

「朝廷に反乱を起こし、討たれた人物」

ということになるでしょう。

 

しかし

ここで私は、また疑問を持ちました。

 

本当にただの反逆者だったのであれば、

なぜ将門はこれほど長く人々の心に残ったのでしょう。

 

普通なら、敗れた者の名前は時代とともに薄れていきます。

まして千年以上です。

それなのに将門は消えませんでした。

 

関東では、将門を英雄視する伝承も生まれました。

そして後の時代には、神田明神で祀られる存在にもなります。

 

私は、ここがとても興味深いと思いました。

もしかすると、

京都から見た平将門と、関東に暮らす人々から見た平将門は、

まったく違っていたのではないか。

 

私たちは学校で歴史を学ぶ時、

どうしても「結果」を知った上で人物を見ます。

 

勝った側。負けた側。

正しい側。間違った側。

 

しかし、その時代を生きていた人々は、未来の結果など知りません。

その日その日を必死に生きています。

 

仲間を守りたい。自分たちの暮らしを少しでも良くしたい。

それぞれの立場から見れば、それぞれに理由があったはずです。

 

だから私は、将門について調べながら、

「歴史は、一方向からだけ見てはいけない」

と思うようになりました。

 

これは歴史だけの話ではありません。

 

仕事をしていても、

「なぜ、あの人はそんなことを言うのだろう」

と思うことがあります。

 

こちらから見れば、相手が間違っているように見える。

しかし相手の立場に立ってみれば、

そこには相手なりの事情や考えがあるかもしれません。

 

お客様にも事情があります。取引先にも事情があります。

社員にも事情があります。

自分から見えている景色だけが、すべてではありません。

 

一歩だけ相手の側へ回ってみる。

 

すると、それまで見えなかった景色が見えてくることがあります。

 

私は平将門という千年以上前の人物を調べながら、

そんな当たり前のことを改めて考えさせられました。

 

将門は戦いに敗れました。

天下を取ったわけでもありません。長い政権を築いたわけでもありません。

 

それでも名前は残りました。

千年以上たった現在も、大手町の将門塚には人が訪れます。

 

私はそこに、人間の評価というものの不思議さを感じます。

 

その時代の権力から評価されることと、

後の人々の心に残ることは、必ずしも同じではない。

 

生きている間にどれだけ肩書きを得たか。

どれだけ財産を残したか。

どれだけ有名になったか。

 

もちろん、

それらにも意味はあります。

 

しかし最後に残るものは、それだけではないのでしょう。

「あの人は、自分たちのために生きてくれた」

そう誰かの心に残ること。

 

それもまた、一つの大きな人生の価値なのかもしれません。

 

大手町で偶然見つけた、小さな将門塚。

そこから千年以上前へ遡ってみると、

私は「反逆者・平将門」という一言では説明できない人間の姿に出会いました。

 

正義とは何なのか。悪とは何なのか。

誰の側から見るのかによって、その答えは変わることがあります。

 

だからこそ大切なのは、

最初に聞いた話だけで人を決めつけないことなのでしょう。

 

「なぜ、この人はそうしたのだろう」

と、もう一歩だけ考えてみる。

 

私は、何にでも興味を持ってしまう性分ですが、

その「なぜ?」のおかげで、

これまで知らなかった世界を随分見せてもらってきたように思います。

 

そして平将門については、

まだ大きな「なぜ?」が残っています。

 

将門は940年、戦いに敗れて命を落としました。

 

ところが

将門の物語は、死んで終わらなかったのです。

むしろ、

人々が千年以上語り継ぐ「平将門」は、ここから始まったのかもしれません。

 

明日は、

将門にまつわる最も有名で、最も不思議な伝説の話に

続く、、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日までは 私が取得した特許の話しでした。

まだ多くの特許の話しがありますが、

今日からは 話題を変えて 再び歴史に関する話に進みます、、、。

 

私は、

どうも「気になるもの」を

そのまま通り過ぎることができません。

 

街を歩いていても、

「これは何だろう?」「なぜ、ここにあるのだろう?」

「誰が、何のために作ったのだろう?」

 

そんなことが気になってしまいます。

 

仕事でも同じです。

誰かから「こんなことで困っている」という話を聞けば、

「だったら、こうすれば解決できるのではないか」

と考えてしまう。

 

そこから新しいアイデアが生まれることもあります。

 

考えてみれば、私の特許も、

そんな小さな「なぜ?」から始まったものが少なくありません。

 

ところが先日、

東京で、また一つ大きな「なぜ?」に出会いました。

それは特許でも、ビジネスでもありません。

 

それは、

千年以上前に亡くなった、一人の男事です、、、。

 

先日、東京の大手町を歩いていました。

 

大手町といえば、

日本を代表する企業や金融機関が集まる、日本経済の中心ともいえる場所です。

 

見上げれば高層ビル。

行き交う人々は足早で、

街全体が「現在」と「未来」に向かって動いているように感じます。

 

そんな場所を歩いていた時です。

 

近代的なビルに囲まれた中に、

周囲とは明らかに空気の違う一角がありました。

 

足を止めて見ると、

「将門塚」

とあります。

 

平将門の首塚として知られる場所でした。

 

私は、その前で立ち止まりました。

そして、いつもの癖が始まります。

 

「なぜだろう?」

 

なぜ、こんな場所に残っているのだろう??

 

平将門の名前はもちろん知っています。

平安時代、関東で勢力を広げ、朝廷に反旗を翻した人物。

 

しかし私がその時に興味を持ったのは、

将門について知っている歴史ではありませんでした。

 

目の前にある「現実」です。

 

なぜ、この場所が残っているのだろう。

大手町です。

日本でも有数の一等地です。

 

東京という街は、江戸から今日まで、

何度も大きく姿を変えてきました。

 

関東大震災があり、戦争があり、戦後復興があり、高度経済成長があり、

そして大規模な都市再開発が繰り返されてきました。

 

古い建物が取り壊され、新しい道路が造られ、

高層ビルが次々に建てられてきた。

 

それなのに、、、

千年以上前に亡くなった一人の男の塚が、東京のど真ん中に残っている。

 

これは考えてみれば、すごいことではないでしょうか。

 

平将門が亡くなったのは、西暦940年です。

今から千年以上も昔です。

 

私たちは、百年前の人の名前ですら、ほとんど知りません。

二百年前、三百年前となれば、なおさらですよね。

 

ところが平将門という名前は、

千年以上たった今でも、人々の記憶の中に生きています。

 

しかも不思議なことに、その評価は一つではありません。

 

歴史の上では朝廷に反旗を翻した人物とされる。

一方で関東では、

民衆のために立ち上がった英雄として語られることもある。

 

さらに後世には、

神田明神の御祭神として祀られる存在にまでなっています。

 

私はここで、また「なぜ?」と思いました。

 

朝廷に背いたとされた人物が、何故ここまで祀られているのか?? と。

 

将門塚について調べ始めると、実に多くの話が出てきます。

 

京都で晒された将門の首が、故郷を目指して空を飛んだという伝説。

首塚を粗末に扱うと災いが起きるという言い伝え。

 

近代になってからも、この場所をめぐる様々な逸話が語り継がれています。

「将門の祟り」という言葉を聞いたことのある方も多いでしょう。

 

しかし私は、そこだけで終わらせたくありませんでした。

伝説は伝説として面白い。

けれども、本当に興味深いのはその先です。

 

もし単に「怖いから残した」だけなら、

千年以上も人々が手を合わせ続けるでしょうか。

 

そこには恐れだけではない、

 

もっと深い人間の気持ちがあるのではないか。

そんな気がしたのです。

 

将門塚の前に立っていると、周囲には東京の巨大なビルがそびえています。

 

最新の技術。最新の金融。最新のビジネス。

世界でも有数の巨大都市です。

 

しかし、その足元には、

千年以上前を生きた人の記憶が残されている。

 

新しいものを生み出すことと、古いものを大切にすること。

一見すると正反対のようですが、私はそうではないと思います。

 

新しい時代をつくるからこそ、

「自分たちは、どこから来たのか」

を忘れてはいけないのではないでしょうか。

 

人間も会社も国も同じです。

 

未来ばかりを見ていると、自分の立っている場所を見失うことがあります。

時には後ろを振り返り、

自分より前に生きた人たちが、

何を願い、何に苦しみ、何を残そうとしたのかを考えてみる。

 

そこから未来を見ることも、大切なのだと思います。

 

私は、ただ東京を歩いていただけでした。

しかし、そこで見つけた小さな塚が、

千年以上も昔の世界へ私を連れて行ってくれました。

 

何にでも興味を持ってしまう私です。

 

一度「なぜ?」と思ったら、もう素通りすることはできません。

 

平将門とは、一体どんな男だったのか。

本当に歴史に記された「反逆者」だったのでしょうか。

 

それとも、関東の人々が千年以上忘れることのできなかった、

何か別の顔を持った人物だったのでしょうか。

 

大手町で偶然出会った一つの「なぜ?」。

そこから、私の新しい歴史探訪が始まりました。

 

この話は 明日へ続きます、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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