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社長&顧問ブログ

2026.9.2

大ムカデ伝説から学ぶ

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

昨日は、

平将門を討った藤原秀郷についての話しでした。

 

将門から見れば「敵」。

しかし秀郷から見れば、

将門こそ自分が立ち向かわなければならない相手だった。

 

同じ出来事でも、

立つ場所が変われば見える景色が変わる。

 

歴史を調べていると、こういう発見があるから面白いのです。

 

ところが藤原秀郷について調べているうちに、

私はまた妙な話を見つけてしまいました。

 

藤原秀郷には、

「巨大なムカデを退治した」

という伝説があるのです。

 

さすがに最初は、

何故大ムカデ????

と思いました。

 

しかし、何にでも興味を持ってしまう私です。

そうなると、

「なぜ実在した武将に、こんな伝説が生まれたのだろう?」

という方が気になってきます。

 

そして調べていくうちに、

これは単なる怪物退治の話ではないように思えてきました

 

藤原秀郷は、後世「俵藤太」として数々の伝説に登場します。

 

その中でも特に有名なのが、

近江国、現在の滋賀県に伝わる大ムカデ退治の物語です。

 

ある時、

秀郷が琵琶湖の瀬田の唐橋を渡ろうとすると、

橋の上に巨大な蛇が横たわっていたといいます。

 

普通なら、驚いて逃げるでしょう。

ところが秀郷は動じません。

巨大な蛇を恐れることなく、

その体をまたいで橋を渡ったと伝えられています。

 

すると、

その蛇は人の姿となって秀郷の前に現れます。

 

実は、龍神の一族だったというのです。

 

そして秀郷に頼みます。

「どうか、私たちを苦しめている大ムカデを退治してほ

 

その大ムカデは、とてつもなく巨大だったといいます。

山を何重にも取り巻くほどの体。

 

暗闇の中で、無数の足が動く。目は炎のように光る。

現代の私たちからすれば、もちろん伝説の世界です。

 

しかし想像してみてください。

 

もし目の前に、絶対に勝てそうもないほど巨大なものが現れたら。

私たちはどうするでしょう。

 

「無理だ」

「自分にはできない」

「誰か別の人に頼んでくれ」

そう思うのが普通です。

 

しかし秀郷は逃げなかった。

 

弓を構えます。

秀郷は大ムカデに矢を放ちます。

 

ところが一本目の矢は、硬い体に跳ね返されてしまいます。

 

二本目も通じません。

残る矢は、あと一本。

 

ここが私は、とても面白いと思いました。

 

もし最初の一発で倒していたら、

ただ「強い武将だった」という話で終わります。

 

しかし、二度失敗した。

 

だからこそ、

この話は千年近く語り継がれてきたのではないでしょうか。

 

一回目で失敗する。

もう一度やっても駄目。

 

残されたチャンスは、あと一回。

 

そんな経験は、

仕事をしていてもあります。

 

最初の企画が通らない。

もう一度提案しても断られる。

商品が売れない。

考えた仕組みが理解してもらえない。

 

その時、

「やっぱり駄目だった」

と諦めることもできます。

 

しかしもう一つ、

「今までと同じやり方では駄目なのではないか」

と考えることもできます。

 

秀郷も、最後の一本を前に考えたと伝えられています。

 

 

伝説では、

秀郷は唾をつけた最後の矢を放ったとされています。

 

すると矢は大ムカデの急所を射抜き、

ついに巨大な怪物を倒した。

 

もちろん、これは伝説です。

史実として大ムカデが存在したわけではありません。

 

しかし私は、

「三本目の矢」

というところに、とても大切なものを感じます。

 

一本目と同じことをする。

二本目も同じことをする。

それで駄目なら、

三本目には何かを変えなければならない。

 

仕事でも人生でも同じではないでしょう

 

私たちは失敗すると、

「これは自分には向いていない」

「やめた方がいい」

と思ってしまうことがあります。

 

しかし失敗には、

もう一つの意味があると思います。

 

「そのやり方ではないよ」

と教えてくれているのかもしれません。

 

目的を諦める必要はない。

方法を変えればいい。

右から駄目なら左から。

正面から駄目なら横から。

今日駄目なら、もう少し勉強して明日もう一度やってみる。

 

そう考えれば、

失敗は終わりではなく、

次の方法を考えるための材料になります。

 

私はこの伝説を読みながら、別のことも考えました。

 

なぜ「ムカデ」だったのでしょう。

なぜ普通の敵ではなく、

山を取り巻くほど巨大な怪物として描かれたのでしょう。

 

もしかすると、大ムカデとは、

人間が人生で出会う

「到底かなわないと思える困難」

を形にしたものなのかもしれません。

 

病気。災害。貧困。争い。仕事の失敗。人間関係。

時代によって困難の姿は変わります。

 

しかし人間はいつの時代も、「これは自分には大きすぎる」

という問題に出会います。

 

だから昔の人は、

それを巨大な怪物の姿にして物語を残したのではないで

 

ここで私は、少し面白いことに気づきました。

もし大ムカデがいなかったら、

この物語の秀郷はどうなっていたでしょう。

 

橋を渡った。

それだけで終わります。

 

大ムカデという巨大な困難が現れたから、

秀郷の勇気が見えた。

二本の矢が通じなかったから、

諦めない姿が見えた。

 

つまり、

困難があったから、英雄が生まれた。

 

これは私たちの人生にも言えるのかもしれません。

 

順調な時には、自分の本当の力はなかなか分かりません。

 

思い通りにならない時。

逃げ出したくなった時。

 

それでも、

「もう一度やってみよう」

と思った時に、

 

自分でも知らなかった力が出てくることがあります

 

人生には、

「どうして、こんなことが自分に起こるのだろう」

と思う時があります。

 

できれば困難などない方がいい。

私もそう思います。

 

しかし、後から振り返ると、

あの出来事があったから考え方が変わった。

あの失敗があったから新しい道を見つけた。

あの人に反対されたから、もっと良いものを考えられた。

 

そんなことがあります。

 

困難の最中には分からない。

何年かたって、ようやく意味が見えてくる。

 

人生と

 

小さな問題には、小さな力で対応できます。

しかし大きな問題が来れば、

今まで以上に考えなければなりません。

 

人に相談する。勉強する。工夫する。自分を変える。

そして、

それまで使っていなかった力を使い始める。

 

そう考えると、

大きな壁は、

自分の中に眠っている大きな力を引き出すために現れることもある。

 

私は藤原秀郷の大ムカデ伝説から、そんな

 

考えてみれば、不思議です。

私は東京・大手町で、たまたま将門塚を見ました。

「これは何だろう?」と思った。

 

そこから平将門を調べ、将門を討った藤原秀郷を知り、

とうとう琵琶湖の大ムカデまで来てしまいました。

 

自分でも、「一体どこまで行くのだろう」と思います。

 

 

知らないことに出会った時、「自分には関係ない」

で終わらせるのか。

それとも、

「なぜだろう?」と一歩踏み込むのか。

 

その小さな違いで、見える世界

 

若い時だけが勉強する時ではありません。

年齢を重ねても、知らないことは山ほどあります。

 

むしろ、

知らないことがあるから面白い。

 

「これは何だろう」「なぜだろう」「もう少し知りたい」

その気持ちがある限り、

人はいくつになっても成長できるのだと思います。

 

そして人生で大ムカデのような問題が現れた時も、

最初から、「無理だ」と決めない。

 

一本目が駄目なら、二本目。

二本目が駄目なら、

三本目は、やり方を変えてみる。

その一本が、人生を変える一本になるかもしれません。

 

藤原秀郷の大ムカデ退治。

 

 

千年近く前の人たちは、物語を通して私たちに、

「大きな困難から逃げるな。知恵を出し、最後まで諦めるな」

と伝えたかったのかもしれません。

 

そして私は、もう一つ考えました。

平将門にも伝説が生まれた。

藤原秀郷にも伝説が生まれた。

 

では、

なぜ人は、ある人物を何百年、千年と語り継ぐのでしょう???。

 

そこには単に「強かったから」「偉かったから」だけではない理由があるように思います。

 

明日は、

少し視点を大きくして、

「人は、なぜ物語を後世へ残すのか」

に続く、、、。

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