
EXECUTIVE BLOG
2026.9.6
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは平将門についての話しでした。
今日は番外編です。
平将門と平清盛の違いがよく分からいと思います
「平将門と平清盛って、同じような人でしたっけ?」
という話になります。
確かに、これは分かりにくいと思います。
平将門。と 平清盛。
二人とも名字は「平」。どちらも武士。
どちらも朝廷と深く関わり、日本の歴史を大きく動かした人物です。
しかも学校の歴史では、どちらも「平安時代」に登場します。
ですから、ごっちゃになってしまうのも無理はありません。
私自身、今回平将門を調べながら、
「では平清盛とは、何が違うのだろう?」
と改めて気になりました。
そこで今回は番外編として、
平将門と平清盛を、できるだけ簡単に整理してみたいと思います。
平将門が活躍したのは、10世紀前半。
940年に亡くなっています。
一方、平清盛が活躍したのは、12世紀。
1118年に生まれ、1181年に亡くなりました。
つまり二人の間には、約200年の隔たりがあります。
簡単に言えば、将門が先、清盛がずっと後。
これを覚えておけば、かなり整理できます。
将門が生きた10世紀前半、日本の政治の中心は京都でした。
天皇や貴族を中心として政治が行われ、藤原氏が力を強めていく時代です。
一方、地方では土地を守り、治安を維持するために、
武装した有力者たちが次第に力を持つようになっていました。
後に「武士」と呼ばれる人々です。
しかし、まだ武士が日本政治の主役になった時代ではありません。
そんな時代に関東で大きな勢力を築いたのが、平将門でした。
そして将門は関東各地の国府を攻略し、「新皇」を称したと伝えられます。
京都の朝廷から見れば、これは許すことのできない反乱でした。
結果として将門は討たれます。
つまり将門は、
「武士がまだ政治の中心ではなかった時代に、関東から中央の秩序へ挑戦した人物」
と考えると分かりやすいと思います。
それから約200年。日本社会は大きく変わります。
武士の力がどんどん強くなっていました。
その中から登場したのが、平清盛です。
清盛は将門のように関東で独自の国をつくろうとした人物ではありません。
むしろ、京都の政治の中心へ入っていった人物です。
朝廷の中で出世を重ね、
ついには太政大臣という最高位の官職にまで上り詰めます。
さらに娘の徳子を高倉天皇の后とし、その子が安徳天皇となりました。
つまり清盛は、
朝廷の外から朝廷を倒そうとしたのではなく、
朝廷の中へ入り込み、武士でありながら政治の頂点へ上っていった。
ここが将門との大きな違いです。
少し大胆に整理すると、二人の違いはこうです。
平将門――関東から朝廷に挑んだ男。
平清盛――京都で朝廷の中枢へ上り詰めた男。
これなら覚えやすいのではないでしょうか。
将門は、「外から挑んだ」。
清盛は、「中へ入って頂点を目指した」。
同じ「平」でも、方法はまったく違ったのです。
ところが調べてみると、面白いことがあります。
二人は違う時代を生き、違う方法を選びました。
しかし大きな共通点があります。
それは、「武士の時代が来ることを、結果として示した人物」
だったということです。
将門の時代には、まだ武士は政治の主役ではありません。
しかし将門は、
「地方の武士がこれほど大きな力を持つことができる」
ということを、歴史の上で強烈に示しました。
約200年後の清盛になると、武士が本当に中央政治の頂点へ到達します。
そして清盛の死後、平家は源氏との戦いに敗れますが、
その後に源頼朝が鎌倉幕府を開きます。
いよいよ本格的な、「武士が政治を動かす時代」
が始まっていくのです。
こうして並べると、
将門から清盛へ。そして頼朝へ。
日本史の大きな流れが見えてきます。
私は二人を調べていて、もう一つ似ていると思ったことがあります。
それは、後世の評価が一つではないということです。
将門は、朝廷から見れば反逆者。
しかし関東では英雄として語られ、後には神様として祀られました。
清盛も、『平家物語』などの影響もあって、
驕り高ぶった権力者という印象を持たれがちです。
しかし一方では、
瀬戸内海航路を整え、日宋貿易を積極的に進めるなど、
海外との交易に目を向けた先進的な政治家として評価される面もあります。
ここでも私は、人間を一つの面だけから見てはいけないと思いました。
歴史上の人物は、
「英雄」「悪人」 「勝者」「敗者」
という言葉で整理すると簡単です。
しかし実際の人間は、そんなに単純ではありません。
将門にも将門の事情があった。清盛にも清盛の理想があった。
その時代を生きていた人たちは、
後世の私たちが知っている「歴史の結末」を知りません。
今日何をするか。誰と手を組むか。何を守るか。何に挑戦するか。
その一つ一つを必死に選択していたはずです。
これは私たちと何も変わらないのではないでしょうか。
今回、二人を並べてみて一番面白いと思ったことがあります。
将門が関東で大きな力を持った時、
武士が政治を動かす時代はまだ来ていませんでした。
将門は討たれました。
ところが約200年後。
平清盛という武士が中央政治の最高位にまで上り詰めます。
さらにその後、
源頼朝による武家政権の時代がやってきます。
そう考えると、
将門が目指したものと後世の武家政権を
そのまま同一視することはできませんが、
少なくとも、
「地方の武力を持つ者が、政治のあり方を大きく変える」
という現象を、将門は非常に早い時期に示した人物だったとは言えるでしょう。
私はここに歴史の面白さを感じます。
ある時代には受け入れられなかったものが、何百年か後には当たり前になる。
仕事の世界でも同じことがあります
新しいアイデアを出した時、「そんなものは必要ない」と言われる。
「前例がない」と言われる。
「そんなことを誰が使うのか」と言われる。
しかし十年、二十年たつと、
似たようなものが当たり前になっていることがあります。
だから私は、
「今、理解されない」ことと「間違っている」ことは同じではない
と思っています。
もちろん将門の反乱と現代の仕事を同列に考えることはできません。
しかし歴史を見ていると、
時代より早く動いた人が、
その時代には理解されないということは確かにあります。
だからこそ、新しいものを見る時には、
「前例があるか」だけではなく、
「この先の時代に必要になるか」
という目も持っていたいと思うのです。
今日は番外編でした、、、。
明日からは
又 前例がないと言われた発明の話になります
その中身は???
明日へ続く、、、、。