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社長&顧問ブログ

2026.9.5

大手町で将門に出会って

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

今日で、

平将門をめぐる私の小さな歴史の旅も最終話となります。

 

思えば、すべての始まりは本当に些細なことでした。

 

先日、東京・大手町を歩いていた時のことです。

高層ビルが立ち並ぶ中に、周囲とは少し違った空間がありました。

 

「将門塚」私は足を止めました。

そして、

「これは何だろう?」と思った。

 

ただ、それだけだったのです。

 

もし、あの日。

私が急いでいたら。スマートフォンばかり見ていたら。

「自分には関係ない」と思っていたら。

私は、そのまま通り過ぎていたでしょう。

 

そうすれば、平将門について調べることもありませんでした。

 

将門の首が京都から関東へ飛んだという伝説を知ることもなかった。

将門塚をめぐる「祟り」の話を調べることもなかった。

なぜ将門が神田明神に祀られるようになったのかを考えることもなかった。

 

そして将門を討った藤原秀郷や、大ムカデの伝説にまで

話が広がることもなかったでしょう。

 

考えてみれば、

今回の将門に関する話は、

「これは何だろう?」

という、たった一つの疑問から始まったのです。

 

私は、気になるものがあると素通りできない性分です。

「なぜだろう」「どうしてだろう」「もっと良い方法はないだろうか」

と考えてしまいます。

 

仕事でもそうでした。

誰かから、「こんなことで困っている」

という話を聞くと、

「だったら、こうすれば解決できるのではないか」

と考え始めます。

 

そこから新しい仕組みを考えたり、

新しいアイデアが生まれたりして多くの特許を取得しました。

 

今回の将門塚も、根っこは同じだったのだと思います。

 

分からないものを、分からないまま通り過ぎない。

ほんの少し立ち止まってみる。

人生を面白くしてくれるものは、案外そんな小さな好奇心なのかもしれません。

 

将門の事を書きながら、何度も考えたことがあります。

 

平将門は940年、戦いに敗れて亡くなりました。

その瞬間だけを見れば、敗者です。

しかし千年以上たった今、

東京の中心に将門塚がある。人々が訪れる。花を供える。

手を合わせる。神田明神では御祭神として祀られている。

 

そして千年以上後に生きている私まで、将門の人生について考えている。

 

そう考えると、

人生の勝ち負けとは、一体何なのだろう。

と思います。

 

私たちも毎日の生活の中で、

勝った、負けた、成功した、失敗した、認められた、認められなかった、

そんなことに一喜一憂します。

 

仕事がうまくいかなかった。提案を断られた。

思っていた結果が出なかった。自分だけ取り残されたように感じた。

そんな日もあります。

 

しかし将門の千年を見ていると、

「今日の結果だけで人生を決めてはいけない」と思えてきます。

 

今日の失敗が、十年後には大切な経験になっているかもしれない。

今日の出会いが、人生を変える出会いになるかもしれない。

今日、誰かにかけた一言が、その人の心に何十年も残るかもしれない。

 

人生の答えは、

その日のうちには出ないことの方が多いのではないでしょうか。

 

将門を追いかけていたはずが、

途中から将門を討った藤原秀郷にも興味を持ちました。

 

そこで考えさせられたのは、

「敵にも、その人なりの人生がある」ということでした。

こちらから見れば、相手が間違っている。

しかし相手から見れば、こちらが間違っているかもしれない。

 

こちらには守りたいものがある。相手にも守りたいものがある。

 

仕事でも、少し相手の側へ回って景色を見ることができれば、

解決できることは案外多いのかもしれません。

 

人間の本当の強さとは、相手を打ち負かすことだけではなく、

自分と違う人を理解しようとすること

でもあるのだと思います。

 

そして藤原秀郷を調べていたら、とうとう大ムカデまで出てきました。

一本目の矢が通じない。

二本目も通じない。

残されたのは、最後の一本。

 

私は、この伝説から、

「失敗は、やめなさいという意味ではない」

ということを考えました。

 

同じ方法で駄目なら、方法を変える。

右から駄目なら左から。今日駄目なら、勉強してもう一度挑戦する。

一本目が駄目でも、二本目が駄目でも、

人生にはまだ、「三本目の矢」

が残っているかもしれません。

 

いくつになっても、そう思っていたいものです。

 

そして、今回私が一番考えさせられたことがあります。

 

平将門の名前は千年以上残りました。

しかし本当に残ったものは、

名前だけだったのでしょうか。

 

私は違うように思います。

故郷を思う心。亡くなった人を忘れない心。困難に立ち向かう勇気。

人から受けた恩を次の人へ渡す心。

 

そういう、目には見えないものが物語とともに受け継がれてきた。

だから千年以上たっても、人の心を動かすのではないでしょうか。

 

私たちは、千年後に名前を残す必要などありません。

歴史の教科書に載る必要もありません。

大きなことを成し遂げなければならないわけでもありません。

 

でも、

誰か一人の心に何かを残すことはできます。

「あの人に助けてもらった」「あの人が信じてくれた」

「あの時の一言で、もう一度頑張れた」

そう思ってくれる人が一人でもいたら、

 

その人がまた、別の誰かに優しくするかもしれません。

その人が受け取ったものを、

また次の人へ渡すかもしれない。

 

そう考えると、

人間が残すものは、自分の名前ではなく、

自分から始まった「良い連鎖」なのだと思うのです。

 

私たちは生まれてから、たくさんのものを受け取っています。

先祖から、親から。先生から。先輩から。友人から。仕事仲間から。

そして、名前も知らない多くの人から。

自分一人でここまで来た人など、誰もいないでしょう。

 

若い頃は受け取ることの方が多かった。

しかし年齢を重ねていくと、少しずつ役割が変わってくるのかもしれません。

 

今度は、自分が受け取ったものを、次の人へ渡していく。

知識を渡す。経験を渡す。人を紹介する。機会をつくる。勇気を渡す。

そして時には、

失敗した経験まで渡す。

 

「私はここで失敗したから、あなたは気をつけなさい」

それも立派な贈り物です。

 

そう考えると、人生とは、受け取って、渡していく旅

なのかもしれません。

 

そして、もう一つ。

 

今回、改めて大切だと思ったことがあります。

それは、好奇心をなくさないことです。

 

年齢を重ねると、

「これは知っている」「今さら勉強しても」「自分には関係ない」

と思うことが増えてしまいます。

 

でも、

「これは何だろう?」「面白そうだな」「もう少し調べてみよう」

と思える人は、何歳になっても新しい世界へ行くことができます。

身体は年齢を重ねても、好奇心には定年がありません。

 

私は、これからも何にでも興味を持っていたいと思います。

知らない道があれば歩いてみる。

知らないものがあれば調べてみる。

人の話を聞けば、

「なぜだろう」

と考えてみる。

 

そうすれば人生には、まだまだ知らない世界があるはずです。

 

 

今もう一度、あの日の大手町を思い出しています。

高層ビル。忙しく歩く人々。その中に静かに佇む将門塚。

 

もし私が、

あと五分急いでいたら。もし別の道を歩いていたら。

もし興味を持たなかったら。

この物語には出会いませんでした。

 

人生というものは、案外こういうものなのかもしれません。

 

大きな出会いが、必ず大きな音を立ててやって来るとは限らない。

道端の小さな石碑。偶然聞いた一言。たまたま出会った人。

何気なく開いた一冊の本。

そういう小さなものが、

後になって自分の人生に大きな意味を持つことがあります。

 

だから、

心が少し動いた時には、足を止めてみる。

それを私は、これからも大切にしたいと思います。

 

 

平将門が生きた時代と、私たちが生きている時代は、

まったく違います。

 

しかし人間の心は、それほど変わっていないのかもしれません。

 

故郷を思う。人に認めてもらいたい。

失敗すれば悔しい。負ければ悲しい。

それでも、もう一度立ち上がる。

 

そして、

誰かのために何かを残したいと思う。

 

だから千年前の物語でも、私たちの心に響くのでしょう。

 

歴史とは、昔の人の話ではありません。

昔の人を鏡にして、今の自分を見ること。

私はそんなことを感じました。

 

 

大手町の小さな将門塚から始まった話。

千年以上の時間を行ったり来たりしながら、

 

最後にたどり着いたのは、意外にも、とても身近なことでした。

今日を大切に生きること。人との出会いを大切にすること。

失敗しても、もう一本の矢を探すこと。

自分と違う人の立場にも立ってみること。受けた恩を、次の人へ渡すこと。

 

そして、

いくつになっても、

「これは何だろう?」

という心を忘れないこと。

 

千年後に名前を残す必要はありません。

 

でも今日、目の前にいる一人の人に、

少しだけ良いものを渡すことはできます。

 

その人がまた、次の人へ渡してくれたなら

私たちの人生も、

知らないところで未来へ続いていくのかもしれません。

 

あの日、

大手町で将門塚の前を素通りしなくて、本当によかったと思っています。

 

一つの「なぜ?」が、

千年前の人たちに出会わせてくれました。

そして最後には、

「自分はこれから、何を次の人へ渡して生きるのか」

という問いまで私に残してくれました。

 

これで、平将門をめぐる話は終わります。

 

しかしまた街を歩いていれば、

きっと何かを見つけてしまうでしょう。

そしてまた、

「これは何だろう?」と足を止めると思います。

 

好奇心がある限り、人生にはまだ続きがある。

 

次はどんな「なぜ?」に出会えるのか。

それを楽しみに、また歩いていきたいと思います。

 

明日は 又新しい話になるのか???

 

それは、、、、

 

 

明日に、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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