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社長&顧問ブログ

2026.9.9

隠す事と匿名である事は違う

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

昨日までは

「学籍番号」に注目した理由についての話しでした。

 

住所は変わる。電話番号も変わる。メールアドレスも変わる。

連絡手段そのものも、時代とともに変わっていきます。

 

しかし、「私は、あの学校で学んだ」

という事実は変わりません。

 

そして学校には、

その人が確かに在籍していたことを確認できる情報があります。

 

それを、人と人を再びつなぐ「鍵」にできないだろうか。

そんなことを約20年前から考えていました。

 

ところが、この仕組みを考えていくと、

どうしても避けて通れない問題が出てきます。

 

それは、「悪用されたらどうするのか」

という問題です。

昔の友人に、メールアドレスを知らなくても連絡できる。

住所を知らなくても連絡できる。

電話番号もLINE IDも必要ない。

 

これは便利です。

しかし便利だからこそ、私は反対側からも考えました。

 

もし、

嫌がらせに使う人がいたらどうするのか。

何度も一方的にメッセージを送る人がいたらどうするのか。

営業目的で使う人がいたら。

誹謗中傷する人がいたら。

あるいは、

他人になりすまして利用しようとする人がいたら。

 

どれほど便利なサービスでも、

安心して使えなければ長くは続きません。

 

では、どうするか??。

 

ここで大切なのが、

「個人情報を相手に見せないこと」

と

「誰が使っているのか分からなくすること」

は、全く違うという考え方です。

 

例えば、

卒業生Aさんが、昔の同級生Bさんに連絡したいとします。

Aさんは母校のサイトに入ります。

 

その時、学校側のシステムでは、

「この人は確かにこの学校の卒業生Aさんである」

という本人確認を行います。

 

そしてAさんはBさんへ、

「久しぶりです。元気にしていますか」とメッセージを送る。

 

ここで重要なのは、

AさんにはBさんの現在のメールアドレスを見せない。

住所も見せない。電話番号も見せない。

 

反対に、

Bさんにも必要以上のAさんの個人情報を見せない。

 

しかし、

学校側のシステムには、

誰が、誰に、いつ連絡したのか

という記録を残すことができる。

 

つまり、

利用者同士には個人情報をむやみに公開しない。

しかし、運営側まで匿名にはしない。

 

私は、この違いが非常に重要だと思っています。

 

インターネットでは、

「匿名なら個人情報が守られて安心だ」と考えがちです。

しかし、

匿名であることが必ずしも安心につながるとは限りません。

 

むしろ、

「誰がやったのか分からない」

という環境だからこそ、無責任な言葉が飛び交うこともあります。

 

私は、この仕組みを完全な匿名社会にしたいわけではありません。

 

目指したいのは、

「個人情報は守られている。しかし、自分の行動には責任を持つ」

という世界です。

 

もし悪用する人がいれば、運営側では利用者を確認できる。

重大な利用規約違反があれば、利用を停止する。

繰り返し迷惑行為をする人には、使わせない。

 

学校という信頼できる場所を入口にするからこそ、

それが可能になるのです。

 

ここまで読むと、

「学校に誰が誰へ連絡したか分かるのは嫌だ」

と思う人もいるかもしれません。

 

もちろん、

実際にサービス化するのであれば、どこまで記録するのか、

誰が閲覧できるのか、どれくらい保存するのかなど、

プライバシーに十分配慮した設計が必要です。

 

学校が個人の会話の中身まで見る必要はありません。

 

必要なのは、安心して利用できる最低限の仕組みです。

 

例えば、

郵便を考えてみてください。

手紙の中身は本人たちのものです。

 

しかし、

だからといって何をしてもよいわけではありません。

 

同じように、

「通信の秘密を守ること」

と

「悪用を防ぐこと」

は両立させなければならない。

 

私はそう考えています。

 

そして考えていくうちに、もう一つ気がつきました。

 

守らなければならないのは、

住所や電話番号、メールアドレスといった個人情報だけではありません。

 

もっと大切なものがあります。

 

それは、「久しぶりにあの人に連絡してみようかな」

と思える気持ちです。

 

もし、

「連絡したら住所を知られてしまうかもしれない」

「メールアドレスを教えなければならない」

「しつこく連絡されたら困る」

と思えば、

人は最初から連絡を諦めてしまいます。

 

しかし、

「自分の連絡先は相手には分からない」

「嫌なら返事をしなくてもいい」

「困ったことがあれば学校側に相談できる」

という安心感があれば、

 

一歩踏み出せる人もいるでしょう。

私は、ここにこの仕組みの本当の価値があるように思います。

 

例えば、卒業して30年。

ある日、母校を通じて一通のメッセージが届く。

 

開いてみると、「久しぶり。元気か?」

たった一言です。

 

送り主を見る。

高校時代、いつも隣にいた友人だった。

 

その名前を見た瞬間、

教室が浮かぶ。校庭が浮かぶ。放課後、一緒に歩いた道が浮かぶ。

文化祭や修学旅行のことまで思い出すかもしれません。

 

30年間、一度も会っていなかった。

それなのに、

たった一通のメッセージで、30年という時間が一瞬で縮まる。

 

人と人との縁とは、不思議なものです。

なくなったように見えても、実はなくなっていない。

ただ、

つなぎ直す「道」がなかっただけなのかもしれません。

 

ここで私は、

なぜこの仕組みの入口を「学校」にしたいのかを改めて考えます。

 

学校は、

単なる建物ではありません。その人が確かにそこにいた。

先生がいた。友人がいた。

笑ったことがあった。悩んだこともあった。

失敗したこともあった。

そして、

そこから社会へ出ていった。

 

つまり母校とは、

人生のある時期を共有した人たちを確認できる場所

でもあるのです。

 

SNSとは少し違います。

知らない人同士を無限につなげる必要はありません。

 

「同じ学校で学んだ」「同じ時代を過ごした」

という、

小さいけれど確かな共通点から始めればいい。

 

だからこそ、

安心して人と人をつなぐための「橋渡し役」に、

学校は向いているのではないでし

 

私が約20年前に考え、特許として形にした仕組みでも、

送り手が相手のメールアドレスを知らなくても、

システムが登録情報と照合して電子データを届ける

という考え方を採っています。

 

しかも受け取る側は、

自分のメールアドレスを送り手に知らせる必要がありません。

 

元の特許にも、その点が発明の効果として記載されています。

 

20年前には、「そんな仕組みが本当に必要なのか」

と思われたかもしれません。

 

しかし今はどうでしょう。

 

個人情報を守りたい。

SNSで誰とでもつながりたいわけではない。

それでも、

本当に大切だった人との縁は残したい。

 

そんな時代になったからこそ、

「連絡先を教えなくても、人とはつながれる」

という考え方に、

新しい意味が出てきたように思うのです。

 

技術というものは、便利にするだけでは足りないと思います。

 

速くする。簡単にする。たくさんの人をつなぐ。

もちろん、それも大切です。

 

しかし、

人と人をつなぐ技術で一番大切なのは、

「安心して使えること」

ではないでしょうか。

 

自分の情報は守られる。相手の情報も守る。

しかし悪用は許さない。

そして、つながりたくない人には、つながらない自由もある。

 

そんな環境があって初めて、

人は安心して、

「あの人、どうしているかな」

と思えるのだと思います。

 

そして、

その小さな気持ちを、母校がそっと橋渡ししてくれる。

私は、

そんな仕組みを作りたいと考えていました。

 

ところが、

この構想には、さらに面白いことがあります。

 

卒業生が昔の友人に連絡しようと思えば、

そのたびに母校のサイトを訪れることになる。

友人に会いに行ったつもりだった。

 

ところがそこで、

現在の母校にも再会する。校舎が変わったことを知る。

後輩たちの活躍を知る。懐かしい先生の消息を知る。

 

そして、

「自分もこの学校の卒業生だった」

ということを、もう一度思い出す。

 

ここから、

この仕組みは単なる「卒業生同士の連絡サービス」ではなくなっていきます。

 

人と人をつなぐことが、

人と母校をつなぐことにもなる。

 

私は、

そこにこの構想のもう一つの大きな可能性があると思っています。

 

その詳細は

 

明日に続く、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/