
EXECUTIVE BLOG
2026.9.11
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは、
昔の友人に連絡を取ろうとして母校のサイトを訪れたら、
そこで思いがけず、「今の母校」に再会する。
そんな話でした。
友人に連絡することが目的だった。
ところが、母校のサイトを開いてみると、
懐かしい校舎が目に入る。後輩たちの活躍を知る。
昔お世話になった先生を思い出す。
そして、いつの間にか、
「そういえば、自分もここで学んだんだな」
という気持ちが蘇ってくる。
私は、この「思い出す」ということが、
学校と卒業生をつなぐうえで、とても大切なのではないかと思っています。
学校にとって、卒業生は大切な存在です。
校舎を建て替えたい。新しい教育施設をつくりたい。
奨学金を充実させたい。後輩たちの活動を応援してほしい。
創立記念事業に協力してほしい。
そんな時、
学校は卒業生に、「ご支援をお願いします」
と呼びかけます。
しかし私は、
その前に考えなければならないことがあると思うのです。
それは、
そのお願いを、卒業生は本当に見ているのだろうか。
ということです。
卒業して10年。20年。30年。
母校のホームページを、一度も開いていない人もいるでしょう。
そんな人に、
「校舎建て替えのため寄付をお願いします」
とホームページで呼びかけても、そもそもその情報に出会いません。
だから、
「最近の卒業生は母校への関心が薄い」
と考えるのは、少し違うのではないでしょうか。
関心がないのではない。
思い出す機会がないのかもしれない。
私は、そう考えました。
例えば、母校の野球部が初めて全国大会へ出場することになったとします。
それを知れば、
「すごいな」
「自分たちの頃には考えられなかったな」
「少し応援してやろうかな」
と思う卒業生がいるかもしれません。
しかし、その事実を知らなければ、
応援しようという気持ちそのものが生まれません。
校舎の建て替えも同じです。奨学金も同じです。
学校が困っていることも、後輩たちが頑張っていることも、
知らなければ、心は動きようがないのです。
だから私は、寄付をお願いする方法を考えるより先に、
「卒業生が母校を知り続ける仕組み」をつくること
の方が大切なのではないかと思いました。
昔の友人に連絡しようと思って、久しぶりに母校のサイトを開いた。
そこで、こんなお知らせを目にしたとします。
「旧校舎を建て替えることになりました」
写真を見る。
そこには、自分が通った校舎が写っています。
毎朝くぐった校門。友人と話した廊下。先生に叱られた教室。
部活動の後、暗くなるまで残った校庭。
文化祭の準備をした教室。
何十年も忘れていた景色が、一枚の写真から蘇ってくる。
そして、
「この校舎も、とうとうなくなるのか……」
と思う。
その時、学校から、
「次の世代のために、新しい校舎を建てます」
という話を知ったらどうでしょう。
もしかすると、
「少しくらいなら、自分も力になろうかな」
と思う人がいるかもしれません。
学校から強く頼まれたからではありません。
自分の中に眠っていた思い出が、心を動かしたのです。
私は、人は単に建物にお金を出すのではないと思います。
その校舎の向こう側にある、「自分の時間」
に心を動かされるのではないでしょうか。
教室を思い出せば、隣に座っていた友人を思い出す。
校庭を見れば、一緒に汗を流した仲間を思い出す。
体育館を見れば、勝った日の喜びや、負けた日の悔しさを思い出す。
図書館を見れば、将来について悩んでいた自分を思い出すかもしれません。
母校という場所には、
自分が若かった頃の人生の一部分が、今も残っている。
だからこそ、人の心が動くのだと思います。
「寄付してください」から始めない
私は、ここが大切だと思っています。
最初から、「寄付してください」ではないのです。
まず、「母校は今、こんな学校になっています」
と知ってもらう。
「後輩たちは、こんなことに挑戦しています」
と知ってもらう。
「あなたが学んだ校舎は、今こうなっています」
と知ってもらう。
そして、
「あの頃の仲間は、今こんなところで頑張っています」
と知ってもらう。
そうした小さな接点を積み重ねていく。
すると、いつの日か卒業生の方から、
「何か母校のためにできることはありませんか」
という言葉が出てくるかもしれません。
私は、その方がずっと自然だと思うのです。
そして、「母校を応援する」ということは、決して寄付だけではありません。
例えば、会社を経営している卒業生なら、
後輩たちに仕事について話してあげられるかもしれません。
研究者なら、自分の研究について学生に話すことができる。
海外で働いている卒業生なら、
海外へ挑戦したい後輩に、自分の経験を伝えることができる。
技術者なら、学生の研究を手伝えるかもしれない。
ある人は就職先を紹介する。
ある人はインターンシップの機会をつくる。
ある人は後輩の相談に乗る。
そして、ある人は寄付をする。
それぞれでいいと思うのです。
お金を出す人だけが、母校を応援しているのではありません。
自分のできることで、次の世代を応援する。
それも立派な母校への恩返しではないでしょうか。
ここまで考えた時、私は一つのことに気がつきました。
学校は毎年、多くの学生を社会へ送り出しています。
その卒業生たちは、
10年後には社会の中堅になり、
20年後には会社や地域を支える人になり、
30年後には経営者や専門家、指導者になっているかもしれません。
つまり学校は、
毎年毎年、社会の中に大切な人材を送り出し続けているということです。
ところが卒業した瞬間、
「卒業生です」で関係が終わってしまう。
これは、あまりにももったいないと思うのです。
卒業生は、
「学校を出ていった人」ではない。
学校が何十年もかけて社会に育ててきた、大切な仲間なのではないでしょうか。
そこで、これまでお話ししてきた「学籍番号」の意味が、
もう一度出てきます。
住所は変わる。電話番号も変わる。メールアドレスも変わる。
使う通信サービスも変わる。
しかし、
「この学校で学んだ」という事実は変わらない。
その関係を確認するための鍵として、
学籍番号など学校が持つ識別情報を活用する。
卒業後も本人が母校のサービスに登録している。
昔の友人に連絡する時には母校へ来る。
そのたびに、学校の現在を知る。
後輩の活躍を知る。
母校が必要としていることを知る。
すると学校と卒業生との関係は、
「卒業したら終わり」ではなくなります。
私は、寄付というものを、もう少し違った見方で考えてもよいと思っています。
自分が学校から受けたものを返す。
それだけではありません。
自分が学ぶことのできた環境を、
まだ顔も知らない次の世代へ渡す。
自分が座った教室を、次の世代へ。
自分が使った図書館を、次の世代へ。
自分が受けた教育の機会を、次の世代へ。
そう考えると、寄付とは、
過去への「ありがとう」であると同時に、未来への贈り物
なのではないでしょうか。
この仕組みの始まりは、決して大げさなものではありません。
ある日、ふと思う。
「あいつ、どうしているかな」
母校のサイトを開く。
昔の友人へ、
「久しぶり。元気にしていますか」
とメッセージを送る。
たった、それだけです。
しかし、その一通を送るために母校へ戻ったことで、
学校の現在を知る。後輩を知る。昔の自分を思い出す。
そして、
「自分も、この学校から社会へ送り出してもらった一人だった」
と気づく。
いつの日か、
「今度は自分が、次の世代に何かを渡す番かもしれない」
と思うかもしれません。
私は、そんな自然な流れをつくりたかったのです。
人に無理に何かをお願いするのではない。
人の心の中にある、
「懐かしい」「応援したい」「何かしてあげたい」
という気持ちが自然に動き出す場所をつくる。
それが母校だったら、とても素晴らしいことではないでしょうか。
そして、ここまで考えると、
この仕組みの本当の価値は「寄付」にあるのではないことが見えてきます。
学校が長い年月をかけて築いてきた、もっと大きな財産があります。
校舎でもありません。設備でもありません。お金でもありません。
それは????
の話しは明日へ続く、、、、、