
EXECUTIVE BLOG
2026.9.13
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは
「学校最大の財産は、卒業していった『人』ではないか」
という話でした。
学校が何十年、100年という年月をかけて社会へ送り出してきた卒業生。
経営者。医師。研究者。技術者。教師。芸術家。
海外で活躍する人。地域を支える人。
そして、さまざまな人生経験を重ねてきた人たち。
その一人ひとりが、
学校が社会の中に育ててきた「財産」だと私は思っています。
そして、
学籍番号などを一つの鍵として、卒業後も母校とのつながりを切らなければ、
先輩の経験を後輩へ伝えることもできる。
母校を通じて、人と人を再びつなぐこともできる。
ここまで考えた時、私はさらに一つのことを思いました。
「これを一つの学校だけで終わらせる必要があるのだろうか」
と、二十年前に考えたのでした。
例えば、
ある学生が、「将来、宇宙に関係する仕事をしたい」
と思ったとします。
しかし、その学校の卒業生に宇宙産業で働いている人がいるとは限りません。
別の学生は、「海外で日本食の店を開きたい」と思っているかもしれない。
また別の学生は、「AIの研究者になりたい」と思っている。
「農業を始めたい」「映画を作りたい」「医療に関わりたい」「起業したい」
若い人の夢はさまざまです。
一つの学校の卒業生だけで、そのすべてに応えることは難しいでしょう。
しかし、学校の壁を越えたらどうでしょう???。
「あなたの学校にはいない。でも、別の学校にはいる」可能性はあると思います。
A校にはいない。
しかしB校の卒業生には、その分野で30年間働いている人がいる。
C大学にはいない。
しかしD大学には、まさにその研究をしている人がいる。
だったら、
必要としている人と、経験を持っている人をつなげばいい。
学校が違うという理由だけで、
その二人が出会えないのは、もったいないと思うのです。
もちろん、
誰でも自由に個人情報を検索できるような仕組みではありません。
これまでお話ししてきたように、
本人確認をする。個人の連絡先はむやみに公開しない。
利用者には責任を持ってもらう。
そして本人が希望する範囲で人と人をつなぐ。
そうした安心できる仕組みの上で学校という壁を越えて人の経験を共有できないだろうか。
私は、そこまで考えるようになりました。
例えば、一校に1万人の卒業生がいるとします。
それだけでも大きな財産です。
しかし100校が参加すればどうでしょう。
単純に考えても、
100万人規模の卒業生との接点が生まれる可能性があります。
1,000校なら、さらに大きくなる。
そこには、ありとあらゆる人生があります。
会社を興した人。世界で仕事をした人。大きな失敗から立ち直った人。
新しい技術を生み出した人。地域を立て直した人。子育てをしてきた人。
介護を経験した人。夢を実現した人。
そして、
夢を実現できなかったからこそ、伝えられることを持っている人。
学校同士が競争するだけではなく、
それぞれが育ててきた「人」という財産を少しずつ持ち寄る。
そこには、とても大きな可能性があると思います。
しかし、
私はこの仕組みを単なるビジネスマッチングサービスにはしたくありません。
社長と社長をつなぐ。研究者と企業をつなぐ。
それだけなら、すでにいろいろなサービスがあります。
私が面白いと思うのは、もっと人間的なつながりです。
例えば、地方の高校生が東京で働く卒業生に、
「東京へ出るのが不安です」と相談する。
ある大学生が、別の学校を卒業した経営者に、
「会社を辞めて起業するか迷っています」
と相談する。
子育てに悩む若い卒業生が、同じ経験をしてきた先輩の話を聞く。
仕事に失敗した人が、
一度大きな挫折を経験した別の卒業生から、
「私もそうだったよ」と言ってもらう。
そんなつながりです。
人は時に、
答えよりも、「自分だけではない」と分かることで救われることがあります。
学校は違う。年齢も違う。住んでいる場所も違う。一度も会ったことがない。
それでも、
自分と同じ悩みを乗り越えた人がいる。
そんな人から、
「大丈夫。私もそこから始まった」
と言われたらどうでしょう。
たった一言かもしれません。
しかし、人生に迷っている時の一言は、時として大きな力になります。
私たちは、自分一人の人生しか経験できません。
だからこそ、
誰かが歩いてきた人生を少しだけ借りることには、大きな価値がある。
私はそう思います。
では、なぜ学校を介する必要があるのでしょうか。
インターネットで探せばいい。SNSでつながればいい。
そう思う人もいるでしょう。
しかし、インターネットには一つ難しい問題があります。
「この人は本当に誰なのか」という問題です。
プロフィールには、何とでも書けます。
一方、学校には、
「この人は確かにここで学んだ」という記録があります。
だからこそ、学校を本人確認や関係確認の一つの入口として活用できる。
私はここに、
学校が持っている「信用」という、もう一つの財産があると思っています。
人を育ててきた学校だからこそ、
人と人を安心してつなぐ入口になれるのではないでしょうか。
学生時代、学籍番号は学校の中だけで使う番号でした。
しかし、この構想では意味が変わります。
A校の卒業生。B大学の卒業生。C専門学校の卒業生。
それぞれが自分の母校を通じて正規に登録する。
そして、必要に応じて学校の枠を越えたサービスへつながる。
ここで大切なのは、
一つの巨大な名簿を世の中に公開することではありません。
個人情報は、それぞれ適切に守られる。
しかし、
「こういう経験を持った人と話したい」
「この分野について相談したい」
という時には、条件に合う人へシステムを介して依頼を届ける。
相手が、「話してもいいですよ」
と答えて初めてつながる。
つまり、
探すことはできても、勝手に個人情報を持ち出すことはできない。
この考え方が大切だと思います。
学校は、入学者を集めるために競争します。
大学も高校も、それぞれ特色を出そうと努力しています。
それは当然のことです。
しかし、
卒業生の経験まで競争させる必要はないのではないでしょうか。
A大学の卒業生の経験が、B大学の学生を助けてもいい。
B高校の卒業生が、C高校の若者の夢を応援してもいい。
母校への愛情を持ちながら、同時に他校の人も助ける。
それは決して矛盾しません。
むしろ、
自分が受け取ったものを、社会へ返していくという意味では、
とても自然なことではないでしょうか。
前回、
「恩返しではなく、恩送り」という話をしました。
自分がお世話になった先生に直接返せなくてもいい。
自分を助けてくれた先輩に返せなくてもいい。
次の世代へ渡せばいい。
そして、その考え方をもう一歩広げれば、
その恩を渡す相手は、
必ずしも同じ学校の後輩でなくてもいいのではないでしょうか。
自分の経験を必要としている若者がいる。
その人が別の学校の学生であっても、
一言伝えてあげる。一度相談に乗ってあげる。誰かを紹介してあげる。
それで、その若者の人生が少し良い方向へ動いたとしたら、
それは素晴らしいことだと思います。
私は、「人脈」という言葉を聞くと、時々少し違和感を覚えます。
人と知り合うことを、「自分に何の得があるか」
という視点だけで考えてしまうことがあるからです。
この仕組みでつくりたいものは、それとは少し違います。
人脈ではなく、「人の縁」です。
今すぐ仕事にならなくてもいい。お金にならなくてもいい。
一人の先輩の経験が、一人の若者を助ける。
その若者が30年後、今度は別の誰かを助ける。
それでいいのです。
人と人とのつながりには、すぐには数字に表れない価値があります。
日本中の学校を考えてみてください。
それぞれの学校には、何十年、100年という歴史があります。
そして、その歴史の数だけ卒業生がいます。
つまり日本中に、
膨大な「人生の経験」が眠っているということです。
その経験がバラバラに存在している。
必要としている人がいるのに、
持っている人がどこにいるのか分からない。
私は、それをつなげたいと思いました。
一人ひとりの個人情報を公開する必要はありません。
むしろ、守らなければならない。
しかし、
個人情報を守ることと、人の知恵を社会で生かすことは両立できる。
それが、約20年前に私が考え始めた発想の延長線上にあります。
一つの学校だけなら、一つの点です。
しかし、学校と学校が人を通じてつながれば、
点と点の間に線ができます。
その線が増えていけば、やがて大きなネットワークになる。
しかし、その中心にあるのはコンピューターではありません。
データでもありません。人です。
一人の人が持つ経験。一人の人が持つ優しさ。一人の人が持つ失敗。
一人の人が持つ知恵。
それらを必要としている人へ届ける。
技術は、そのための橋でしかありません。
最初は、
「相手のメールアドレスを知らなくても、連絡できないだろうか」
という発想でした。
そこから、
個人情報を公開しなくても同級生同士がつながる。
同級生とつながるために母校へ戻る。
母校の現在を知る。後輩を応援する。卒業生の経験を後輩へ渡す。
そして今度は、学校を越えて、人の経験を必要としている人へ届ける。
一つの小さな発想から、ここまで世界が広がっていきました。
私は、発明というものは、
便利な道具をつくることだけではないと思っています。
その仕組みを使うことで、
今まで出会えなかった人と人が出会い、誰かの人生が少し良くなる。
そこまでできた時、
初めてその技術に、本当の意味が生まれるのではないでしょうか。
私たちは、自分の人生を、「大した人生ではない」と思うことがあります。
しかし、
自分にとって当たり前になった経験が、
誰かにとっては喉から手が出るほど欲しい答えかもしれません。
自分が乗り越えた失敗が、
今まさに同じことで苦しんでいる人を助けるかもしれない。
自分が何気なく伝えた一言が、誰かの背中を押すかもしれない。
だから、
人生に無駄な経験など、本当はそれほどないのかもしれません。
その経験を必要としている人と出会えていないだけなのです。
学校という「信用」を入口にして、その出会いをつくる。
母校を越えて、世代を越えて、地域を越えて、
人と人がつながっていく。
私は、そんな未来を思い描きました。
そして、
この仕組みが学校を越えて広がれば、さらに大きな可能性が見えてきます。
学生や卒業生だけではありません。
企業。地域。研究機関。
そして社会そのものが、学校に集まる「人の知恵」とつながることができる。
すると学校はどうなるのかは????????
明日に続く。。。。