
EXECUTIVE BLOG
2026.10.4
高光産業株式会社
妹尾八郎です
高村光太郎と智恵子について書いてきました。
光太郎は彫刻家であり、詩人でもありました。
そして、その光太郎の父が、日本の近代彫刻を代表する高村光雲です。
私は光太郎について調べるまでは、
光雲のことを「有名な彫刻家だった人」
という程度にしか知りませんでした。
しかし、
その人生をたどってみると、単なる芸術家の話ではありませんでした。
そこには、
「時代が大きく変わった時、人はどう生きればよいのか」
という、
今の私たちにも通じる問いがありました。
高村光雲は1852年、江戸の浅草に生まれました。
まだ明治維新より前、江戸時代です。
12歳の頃から仏師のもとに入り、木彫を学び始めました。
仏師とは、寺院などから依頼を受け、仏像を彫る職人です。
昔から受け継がれてきた技術を学び、
光雲もその世界で生きていくはずでした。
ところが、時代が大きく変わります。
1868年、明治維新です。
政治も社会も価値観も大きく変わりました。
仏教を取り巻く環境も変わり、廃仏毀釈などの影響もあって、
仏像をつくる仕事は大きく減っていきます。
光雲にとって、
これは単に仕事が少し減ったということではありません。
一生懸命覚えてきた技術そのものが、
「これからは必要なくなるかもしれない」
という時代になったのです。
考えてみれば、とても不安だったと思います。
長い時間をかけて身につけたもの。
師匠から教わったもの。毎日磨いてきた腕。
それが、
世の中の変化によって価値を失うかもしれない。
今の時代にも、少し似ています。
新しい技術が生まれます。AIが普及します。
仕事の仕方が変わります。
昨日まで必要だったものが、
急に古くなることもあります。
そんな時、
「自分がこれまでやってきたことは、これからも通用するのだろうか」
と不安になることがあります。
光雲も、まさにそんな時代の中にいました。
しかし、
光雲は自分の技を捨てませんでした。
「時代が変わったから、木彫はもう駄目だ」
とは考えなかった。
けれど、
「昔と同じことだけしていればよい」
とも考えませんでした。
江戸から受け継いだ木彫の技術を大切にしながら、
西洋から入ってきた新しい写実的な表現を取り入れていったのです。
古いものを捨てず、新しいものを拒まない。
私は、ここに光雲のすごさがあると思います。
伝統か、革新か。
どちらか一方を選ぶのではありません。
伝統を土台にして、新しいものを加える。
そうして、
自分にしかできない表現をつくっていきました。
その代表作の一つが『老猿』です。
一匹の老いた猿を木から彫り出した作品です。
鷲と争った直後の姿を表現したとされ、
手には鷲の羽を握り、鋭い目で空を見つめています。
木でできているとは思えないほど、
筋肉や毛並み、表情に力があります。
光雲は実際の猿をよく観察し、
昔ながらの木彫の技術に、新しい写実表現を加えました。
この『老猿』は1893年のシカゴ万国博覧会にも出品され、
現在は東京国立博物館に所蔵されています。
私はこの作品の話を知って、
何となく光雲本人と重なるように感じました。
時代が変わる。
自分が育った世界が変わっていく。
それでも、
自分の技をしっかり握りながら、新しい時代を見つめる。
まるで『老猿』の姿そのもののようです。
光雲は、自分が作品をつくるだけではありませんでした。
後には東京美術学校、現在の東京藝術大学の前身で、
若い彫刻家たちを育てる立場になります。
自分が苦労して覚えた技を、自分だけのものにしなかったのです。
ここにも、大切なことがあると思います。
人は、自分が身につけた技術や経験を、
自分一代で終わらせることもできます。
しかし、
誰かに伝えれば、自分がいなくなった後も、その技は残ります。
人が本当に残すものは、自分の作品だけではなく、
次の人へ渡したものなのかもしれません。
そして、
その光雲の長男として生まれたのが、高村光太郎です。
光太郎も父と同じように彫刻を学びました。
しかし、父と同じことだけをしたわけではありません。
欧米へ渡り、西洋の彫刻を学び、さらに詩を書きました。
『道程』。『智恵子抄』。
父から彫刻の世界を受け継ぎながら、
そこに自分自身の言葉を加えたのです。
考えてみれば、高村親子には似たところがあります。
光雲は、師匠から昔ながらの木彫を受け継ぎました。
しかし、そこに新しい写実表現を加えました。
光太郎は、父から彫刻を受け継ぎました。
しかし、そこに詩という自分だけの道を加えました。
つまり、
「受け継ぐこと」と「変えること」は、
決して反対ではないのです。
むしろ、本当に長く残るものほど、
何かを守りながら、何かを変えています。
伝統とは、
昔とまったく同じことを繰り返すことではないのかもしれません。
大切なものは守る。
しかし、時代に合わせて形を変える。
そうすることで、次の時代へ渡していくことができる。
これは、
会社でも仕事でも同じだと思います。
昔から大切にしてきた理念があります。
先輩から教わった仕事があります。
長い歴史があります。
それを全部捨ててしまえば、その会社らしさはなくなります。
しかし、「昔からこうしてきた」
という理由だけで何も変えなければ、
時代から取り残されることもあります。
大切なのは、何を守り、何を変えるのか。
光雲は、木を彫る技を守りました。
しかし、表現の仕方を変えました。
だからこそ、
江戸の仏師の技を、明治の近代彫刻へつなぐことができたのでしょう。
年齢を重ねると、「今までこうしてきたから」
という思いは強くなります。
けれども、世の中は変わります。仕事も変わります。
人も変わります。
そんな時、
今までの経験を捨てる必要はありません。
むしろ、それまで積み上げてきたものがあるからこそ、
新しいことへ挑戦できるのだと思います。
過去を捨てて新しくなるのではない。
過去を土台にして、新しくなる。
光雲の人生を知ると、そんな生き方があるのだと教えられます。
そして私は、
高村光雲の人生から、一つの言葉を感じます。
守るために、変わる。
一見すると矛盾しているようですが、
長く残るものほど、変わることを恐れていないのかもしれません。
自分の中に変わらないものがある人ほど、
安心して新しい一歩を踏み出せる。
光雲には、木を彫るという確かな技がありました。
だからこそ、
新しい時代にも進んでいけたのでしょう。
そして、この光雲が、
後に、誰もが知る大きな仕事に関わることになります。
江戸の仏師として出発した一人の職人が、
なぜ、
そこまでの仕事を任されるようになったのでしょうか?????。
それは 何か??????
の話しは、、、、
明日へ続く、、、、、、、。