
EXECUTIVE BLOG
2026.11.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です
鑑真が日本へ渡ることを決意したのは、742年のことでした。
そのきっかけをつくったのは、
栄叡と普照という二人の日本人僧侶でした。
当時の日本は、
仏教を国家の大切な制度として整えようとしていた時代です。
ところが、
正式な僧侶になるための戒律を授ける仕組みは、
まだ十分に整っていませんでした。
そこで、日本の朝廷は、
戒律に精通した高僧を中国から招くことを考えます。
その役目を担ったのが、栄叡と普照でした。
二人は733年、遣唐使とともに中国へ渡ります。
今なら飛行機で数時間の距離ですが、
当時は日本を離れること自体が命がけでした。
しかも、
中国へ到着すれば仕事が終わるわけではありません。
日本へ来てくれる高僧を探し、説得し、
さらに無事に連れて帰らなければならないのです。
二人は長い年月をかけて、その人物を探し続けました。
そして742年、揚州の大明寺で鑑真と出会います。
当時の鑑真は、すでに中国でも名高い高僧でした。
多くの弟子に囲まれ、社会的な地位も確立していました。
二人は、
その鑑真に日本へ戒律を伝えてほしいと願い出たのです。
容易に引き受けてもらえるような話ではありません。
海を渡れば命を失うかもしれず、
二度と故郷に戻れない可能性もあったからです。
鑑真は、
弟子たちに日本へ渡る者はいないかと尋ねたと伝えられています。
しかし、
危険な旅を前に、進んで名乗り出る者はいませんでした。
そこで鑑真は、自ら日本へ渡る決意をしたのです。
私は、この歴史を知って、二つのことを考えさせられました。
一つは、鑑真の決断の大きさです。
しかし、
もう一つ、見落としてはいけないことがあります。
それは、栄叡と普照の存在です。
もし、この二人が中国へ渡っていなかったら。
もし、途中で諦めて日本へ帰っていたら。
もし、鑑真に出会っても、願いを伝える勇気がなかったら。
私たちの知る鑑真の歴史は、違うものになっていたかもしれません。
歴史に名を残すのは、最後に大きな仕事を成し遂げた人物であることが多いものです。
しかし、
その陰には、最初のきっかけをつくった人がいます。
誰かに会いに行った人。
断られることを恐れずに願いを伝えた人。
実現する保証もない仕事に、人生の時間を費やした人。
世の中を動かす仕事というのは、
必ずしも最初から大きなものではありません。
むしろ、
一人の人間の小さな決意から
始まることの方が多いのではないでしょうか。
仕事においても同じことが言えると思います。
どれほど素晴らしい技術や考え方があっても、
それを必要としている人との出会いがなければ、
世の中に広がることはありません。
そして、どれほど大きな夢を持っていても、
一人ですべてを成し遂げることはできないのです。
出会いがあり、共感が生まれ、力を合わせる人が現れる。
その積み重ねが、
やがて大きな成果につながっていくのでしょう。
鑑真の日本渡航も、
最初は二人の日本人の切実な願いから始まりました。
しかし、ここから先が、さらに厳しい道のりだったのです。
日本へ渡ろうとしても、なかなか海を越えることができません。
それどころか、
志を同じくした仲間の命まで失うことになります。
大きな歴史を動かすのは、必ずしも大勢の人ではありません。
たった一人の願いを、
もう一人が真剣に受け止めるところから、
未来が変わり始めることもあるのです。
明日は、
鑑真が経験した五度の失敗と、
その中で失われた大切なものについての話に、、、
続く、、、、。