EXECUTIVE BLOG
2022.4.14
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは アインシュタインが何故福岡に来たのか?
と言う話でした。
そして 彼との縁を作った三宅医師の話になっていました。
三宅医師が居なければ アインシュタインは福岡までは来なったのです。
本の僅かな縁から 福岡の人たちは 生でアインシュタインの話を聞くことが出来たのですが
彼の相対性理論を理解できた人はいるのでしょうか?
私は 今もって その理論の何たるかを知りません。
が 彼の研究で 原子爆弾まで出来てしまったことに関しては複雑な思いがします。
核戦略は世界を滅ぼす可能性があり
それが 今 ウクライナで現実の事になってしまうのでは? と 世界中の人が
危機を持っています。
さて このアインシュタイン 1955年に亡くなるのですが 彼の死後
彼の遺体にあることがなされる話になるのですが、
その前に
またまた 話が逸れてしまいますが
福岡に こんな有名な人が来たんだと驚いていましたら
他にも 有名な人が来ていました
その一人が マリリンモンローでした。
そして マリリンモンローが来る前に もう一人 有名人が福岡に来ていました。
それが
リンドバーグです。
チャールズ・リンドバーグは、今から90年以上前の大正時代(1927年)に実在したアメリカの冒険家です。
プロペラ機に乗ってニューヨーク〜パリの間、約5800kmを33時間以上もかかる単独無着陸飛行に初めて成功し、
「翼よ、あれがパリの灯だ!」
の名セリフで世界的に有名になりましたね、
そんなリンドバーグは、1931年(昭和6年)に世界一周中の途中、
プロペラ機に乗って福岡に立ち寄ったのです。
博多の灯が見えた時には
「翼よ、あれが博多の灯だ!」 と言ったとか言わなかったとか、、
そんな話がありました。
そして 彼が降り立った場所は 今では住宅街になっています。
そこに リンドバーグ記念碑が建っています。
又
福岡空港国際線ターミナルロビーには、
リンドバーグ夫妻の乗っていたロッキード・シリウス号のミニチュア模型が展示されているのです。
国際線利用の方も なかなか気が付いてないのではと思います。
私も興味を持つまで この模型が リンドバーグの飛行機だったことを
知りませんでした。
興味を持つと色んな事が見えてきますね。
彼が到着した海も 今では埋め立てられてしまっていて
そこの住人も かつては海だった事を知っている人は少ないのではと
思っています。
アインシュタインに リンドバーグと 有名人が博多にこうして来てたのですが、
戦後は あの大物女優の マリリンモンローが来てました。
新婚旅行で 博多に来たのですが、
もっと気の利いた 場所があったのではと思いますね
イタリアとかフランスではなく 何故福岡を選んだのか??
その理由に 福岡ではかつて 神様と呼ばれた男の存在があったからなのです。
この男とは 一体誰なのか?????
そして 彼は何故神様と呼ばれていたのか??????
それは?????
明日に続く、、、、。