EXECUTIVE BLOG
2021.9.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
いつもここで書いているのは
いつの時代も情報の大切さで そこから いかに先を読み取るかが
必要であるという事です。
これは昔も 今も変わりません
江戸末期も 列強が日本を狙っていると言う情報は入っては来てても
それにいかに対応すべきかを考えずに放ってしまったことで取り返しがつかない
事になってしまったのです
黒船が来た時もそうですし
その少し前の 大事件と言えば 安政の大獄からの桜田門外の変でも
水戸浪士に不穏が動きがあり 井伊大老を狙っているとの情報は
何度も 井伊藩邸には伝えられていましたが
無防備のまま 江戸城に向かう途中に 水戸浪士に襲われてしまうという
幕府始まって以来、大老の首が刎ねられると言う大事件が起きてしまったのです。
今回の黒船の時も 一年前からオランダから情報が伝えられていたのに
黒船に対抗できる 大型船の建造には取り組んでいませんでした。
そして 昨日書いたように 大砲だけは一応準備していたようでしたが、
これは今回の黒船対策と言うより
外国船が来たらとにかく撃ち払えみたいな決まりが出来て大砲の研究が始まり
この大砲の指南役として 抜擢されたのが 高島秋帆と言う人だったのです。
この高島さんは 長崎に居て 江戸での訓練の為に 大砲をひいて江戸まで登り
そして 当時の江戸の 徳間ヶ原と言う所で 演習を行ったのです。
そして この徳間ヶ原が その後 高島秋帆にちなんで
その地名が 皆さまご存知の高島平という事になったのです。
しかし 江戸幕府も まだこの頃は それほど危機感がなかったのか、
このまま 高島秋帆を重用せずに 確か鳥居耀蔵が 高島の活躍ぶりを妬んで
悪い噂を流して 逮捕投獄ししまったのです。
この時も きちんと情報を精査していれば 日本の進化は早まっていたかもしれませんね
この鳥居耀蔵と言う男は 悪名高い奉行で ことごとく当時の改革派を取り締まっていたのです
この男の話をすると 又 話が逸れまくってしまいますので
この話は 又後日という事で
一旦黒船の話にもどります
とにかく 日本の大砲では射程距離が短くて 黒船は 射程距離外に停泊していたのですが
幕府は なんとか この船を追い返そうと
色々な知恵を絞るのでした
そして
その知恵というのが
今知ってみると そんな馬鹿な手が 相手に通用するわけがないじゃないと
笑い話になるような内容なのです
その
内容とは??
それは
明日に続く、、。