EXECUTIVE BLOG
2022.11.22
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
月島の話から もんじゃ焼きが 月島が発祥の地だったという事で
その原点は何か??
と言う話から そもそも お好み焼きともんじゃ焼は何が違うのか?
という事で
先ず お好み焼きの発祥の地を調べたところ
そのお店は 大阪でも広島でもなく 東京の浅草にある 染太郎と言う
店であったと言う話でした。
で今日は
このお好み焼きの歴史についてです
お好み焼き店としての発祥の地は 浅草だったかもしれませんが
お好み焼のルーツはどこなのか???? についてです
今のお好み焼きの起源となるのは、
「麩の焼き」というものを茶人である千利休が作り出したのが始まりと言われています。
小麦粉を水で溶き平らに焼いたもので
今のお好み焼きのような具材は当時入っていませんでした。
中には味噌などを入れており、
お茶菓子として楽しまれていましたそうです。
これが江戸時代の後半になると、
麩の焼きに入る味噌の代わりとなるものが誕生します。
それが餡を巻いて作られる「助惣焼」というもので、
屋台などで手軽に食べられるようになっていきました。
この助惣焼はお好み焼きだけでなくどら焼きの起源でもあるそうです。
そして
大正時代になると、「一銭洋食」としてどんどん焼きが日本全国で人気となっていきます。
日本で生まれた料理なのですが、ソースをかけて食べることが当時は洋風とされていたそうです。
因みに私は 卵料理のニラ玉には ソースをかけます
このどんどん焼は一銭で食べられる洋食という意味で「一銭洋食」と呼ばれていたそうです。
確か 京都の祇園近くに 一銭洋食と言う店があった気がします、、、、。
そしてお好み焼きが誕生するのは、昭和に入ってからのことになります。
戦後、物資が少なく貧しい時代、
安価で手に入るキャベツを小麦と水で溶いたものの中に混ぜて焼くことで
ボリュームが出てお腹を満たす主食へと変化していきました。
こうして今のお好み焼きが考案され、東京浅草の「染太郎」というお店が
お好み焼き発祥の地と言われるようになったようです。
私は 大阪が発祥の地とばかり思っていました。
だったら
何が 大阪発祥かときになりますね、、、。
それは?????
明日に続く、、、。