EXECUTIVE BLOG
2023.4.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
日本とトルコの関係の話でした。
今 トルコが親日国と言われているのには
先人たちの努力の結果なのだという事がわかります。
そして海外で献身的な働きをした日本人が その国で銅像まで建てられる事もあるのです。
宮﨑さんもトルコでの献身的な働きで 銅像が建てられました。
で 今日はその銅像の話で
ヨーロッパのある国には ある日本人の銅像が複数建てられているのだと
言う話になるのですが、
この話は 又後日という事で
今日は福岡にある 銅像の話になります。
私は 最近健康維持のために 日々ウォーキングを心がけています。
簡単に言うと散歩なのです。
今は一日一万歩歩くことを心がけています。
昔は 100メートルの移動にも車を使っていて 笑われていましたが、
今では 市内の移動は 時間が許す限り 歩くことを心がけています。
健康の為に始めたウォーキングですが、
目的地まで 単に歩くのではなく 街並みを眺めながら歩いていますと
色々な事が見えてきて楽しいのです。
前にも書きましたが 街中に色々な建物があります。
気にもしなければ 何の興味も湧かないのですが
少し興味を持って見てみると この建築物は 施主のどのような思いがあって建てられたのか? その思いを デザイナーや設計士は どのように図面におこしていったのか???
とか 考えているだけで 楽しく
いつの間にか 大きな 芸術館の中にいる気持ちになり 味気ないと感じていたウォーキングも楽しくなるのです。
建物だでけなく この通りが○○通りと呼ばれているのだと気が付くこともあります。
これも前に書きましたが 普段何気なく歩いていた通りが 「疎開通り」 という事に気が付き、 戦争の時の苦労を思う事が出来たのでした。
そもそも 今の方は 疎開と言う言葉すら知らないかもしれませんが
疎開とは 「災害や空襲に備えて,都会の人や物資・工場などを他の地に移すこと。」
なのです。
終戦末期 福岡も敵機の空襲に備えて 火災が燃え広がるのを防ぐために
民家を強制疎開させて 道路を拡げていたのですが
その時 生まれ住んだ家を手放して地方への移動を余儀なくされた人の気持ちは
如何ほどだったのかとも思いも込み上げてきます。
又 この疎開道路の近くに、冷泉公園と言う公園があります。
都心のオアシスとして市民の憩いの場となっていますし 最近では
桜の名所でもあるために 多くの花見客でにぎわっていました。
この公園の真ん中あたりに 白い構築物があるのですが
殆どの方は その事に気にも留めずにそこらに腰かけて 佇んだり 花見に興じて
いるのですが
この白い構築物には 悲しい思いが込められていることを知っている方も
殆ど居ないと思います。
それも ウォーキングをしている事で 興味を持ち知る事になるのです、
では 冷泉公園の中にある この構築物は何なのか???
博多にある銅像は どこに何があるのか???
は
明日に続く、、、。