EXECUTIVE BLOG
2023.6.20
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
青森にイエスキリストの墓があると言う話でした。
本当の話かと思いますが
その地域の方々の風習に 古いユダヤと同じような事があるので
それはそれで 不思議です。
しかし イエスの弟がイシキリとはなんか疑いたくなりますね
イエスキリストを 東北弁で 訛ると イスキリのなるのでは???
とも思ってしまいます。
しかし 何の根拠もなく イエスが青森に来たとなるわけがないのです。
不思議なことに、村にはキリストを連想させる要素が少なくないのです。
キリストの墓がある地区は、 戸来へらい といい、
古代イスラエル人の別称であるヘブライに由来しているという説があるのです。
また、子どもを初めて野外に出す時に、額に墨で十字を描く風習もあると言うのですから
不思議です。
これがいつからの時代からかはちょっと分からないのですが、、、
ただ ここがキリストの墓だと主張した人が居たのです。
この説を唱えたのは、昭和初期に勃興した新興宗教「天津教」を開いた竹内巨麿と言う人物で、古代から伝わる歴史書「竹内文書」に書かれていると主張したのです。
この竹内文書は、宗教家・竹内巨麿の家に伝わる文書とされていて特殊な文字で著され、
神武天皇以前の歴史など、一般に知られていない真の歴史が書かれているというのです。
竹内文書によれば、釈迦、孔子、孟子、モーセなども日本で修行したと書かれているそうです。
1935年の夏、巨麿本人が戸来村の調査にやって来て
「墓所舘」と呼ばれていた丘の上で“キリストの墓”を発見することになり
巨麿は二つの丸い塚の前で黙祷し、歴史書にかいてあるキリストの墓は
「やはりここだ、ここだ!」と叫んだというのです。
その後神主によりキリスト祭が行われているのです
キリスト教に神社?? と思ってしまいますが、
キリスト祭を司式する神主によれば、
「埋葬されているのが誰であれ慰霊は大切だ。そして万が一墓の主がキリストであっても、八百万の神を祀る神道にとって何ら問題ない」
というのです。
祭りのスタッフとして働く村職員も、葬られている人は村の先祖であり、
古くからある墓の供養を絶えさせてはならないと語っているそうです。
村人たちは“キリストの墓”を信じている人は少なくて
墓を受け継いできた自分たちの先祖を信じているというのです。
現在の村人たちは、墓の保存と供養を続けてきた祖先の営みを大切に感じていると言う事で墓の中身は問題ではないようです。
教義や信仰ではなく、自分たちが所属するコミュニティーと、そのコミュニティーが続けてきた実践が大切にされていると言う事になるのですね。
この竹内文書にはほかにも奇妙な事が書かれていたのです。
それは何か???は
明日に続く、、、。